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リフレクソロジーブームの終わりの始まり




ここ半年の間にリフレクソロジーサロンと言われる店が2.5倍になったそうである。驚くべき数字である。都内に一体何軒のサロンがあるのだろう。電話帳やインターネットでも実体は全く掴めない。動きが早すぎするのである。スクールブームは一段落したとはいえ、そこを卒業した人達が開業しているわけだから、ラッシュはまだ続きそうである。
ご縁があってこのホームページを見た方に正直なところを言って置きたい。リラクゼーション系リフレクソロジーでご飯を食べることは難しくなってきた。資本を投下できる大手のサロンが集客力のある一等地でやっていくのが精一杯であろう。このままいけば、個人開業者は共倒れになる。イギリス政府機関が認定するディプロマを持っていたって、ハワイの何とかいうマッサージを取り入れたってダメなものはダメなのである。後悔先に立たずであるから、そんなものは習わず貯金をしたほうがよい。
「じゃお前はなんでスクールなんぞやっているんだ!」というお叱りがあるかもしれない。
経験からいってリフレクソロジーの可能性を信じているのである。リフレクソロジーは奥が深い。経験が数年しかないのに講師でございますとイケシャーシャーと名乗る人物には我慢できないし、身を削るような思いをして臨床を積んだこともなく、お客の身体が心配で夜も寝られないという思いもしたことがないのに、いやしくも療法であり、療術であるリフレクソロジーを教える資格があるのか、と思う。
勿論、経験さえあればいいというものでもないが、あまりに安易な風潮ではないか。
“セラピストではなく慰安婦と名乗るべきではないか”と「ガンとリフレクソロジー」の項で述べたが、これはいくらなんでも筆が走り過ぎた。失礼。でも訂正するつもりはない。
リフレクソロジーは基本的には療術である。法的に治療という言葉は使えないが、その本態は“治”療術なのである。慰安術と治療術のどこが違うかは診断の有無であろう。診断なきものは全て慰安である。技巧を凝らしたところで所詮は曲技、曲手である。揉みの上手い下手ではなく診断ができるかどうかなのである。診断と言う言葉は使わなくともよいが、少なくとも身体の状態を把握し、圧を加えるとその圧の反応がはっきりと見えなくてはいけない。見えずとも圧反応がハネカエッテ自身の手指に感じなくてはいけない。
セラピストとは治療家と訳すわけだ。リフレクソロジストとは反射療法家のことである。日本語に訳すと重みが分かるではないか。一体どれだけの人が胸をはってセラピスト、リフレクソロジストと名乗ることができよう。今、日本に約2万人のリフレクソロジストがいるらしいが、そのほとんどは足揉み慰安師のような気がする。
私は本物のセラピスト、リフレクソロジストを育てたいのである。にわかリフレクソロジストには想像もできぬほど深い世界を垣間見て頂きたい。どうせやるならである。何年かけて勉強しても方向性が違えば、奥の深さを知ることなどできない。解剖、生理を勉強したって人の身体は見えてこない。(基本的知識は必要であるが)中途半端にやるくらいならこの世界に入らないほうがいいのである。しかし、本気でやろうと思う者にとって浮薄なリフレクソロジーブームの終わりの始まりはむしろ歓迎すべきことではなかろうか。ブームが去ったあとに生き残るのは常に本物であるからである。真面目に取り組んでいる者にはむしろ朗報であろう。真剣に奥の深さを知りたいと思う人達にこの技術と知識を伝えたい。だからスクールとさえ呼べない塾形式で教えている。古来より東洋的な知識、技術の伝授は塾形式によって伝えられてきた。師から弟子へと身を持って伝えられたことに意義があるのである。またそのような方法でなくては本来、療術というものは伝えられないものである。施術とは心の技術であって、心を定めることなくしていくら上手に施術しているように見えても、本質を誤れば相手の身体を傷つけてしまう。このことが分かることこそ、伝授の意義があるというものである。
稽古事や習い事でリフレソロジーを学んでほしくない。ましてや大手校に代表されるマスプロ教育で何が学べるというのか。今日のブームを起こした功労者は大手校でもあろうが、カルチャー感覚で軽く見られている風潮にしたのも大手校の責任と言えよう。リフレクソロジーは真に追求すれば他の療術に優るとも劣らぬ実力を秘めているのである。何度もいうが慰安術ではなく治療術なのである。慰安術やリラクゼーション術で個人開業し成功できるものはこのブームによって益々減った。それでよしである。これからは本物のリフレクソジーの時代なのである。


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