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施術百話
バックナンバー 第1話〜第10話


イラスト:Machiko Watanabe

第1話 (リンパ節切除による強度な下肢のムクミ)  2003/4/10
第2話 (膝痛)  2003/4/10
第3話 (腰痛)  2003/4/14
第4話 (甲状腺障害)  2003/4/19
第5話 (ひどい肩コリ)  2003/4/19
第6話 (ED) 2003/4/28
第7話 (手の痛み) 2003/6/24
第8話 (糖尿病) 2003/7/10
第9話 (九州一、身体が硬いと言われた女性) 2003/7/17
第10話 (月経困難症) 2003/10/28


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★第1話(リンパ節切除による強度な下肢のムクミ)
 2003/4/10

五十台半ばの女性。病名は子宮頸ガンであった。私のところへ来た時には既に、手術によって、子宮、卵巣を全摘していた。ご承知かと思うが、子宮頸ガンは転移する確率が低く、予後が良好なガンの一つである。しかし、可能性が低いと言っても転移が心配なのは当然の話である。彼女の場合は左そけいリンパ節をまるごと切除していた。転移の可能性を最小限に押さえる為である。さて、手術後、約4ヶ月程で来院してきたのだが、悩みは転移の心配というよりもリンパ節切除によって起きた左足のムクミである。これは凄かった。これほどの足は見たことがない。右足に比べ、優に2倍ほどはあったろう。当時は足置き台を使わず自分の膝に相手の足を乗せて施術していたのだが、施術が終わった時、急性の膝痛になったくらいである(自分の膝が)。さて、これほどムクンダ足が果たして元にもどるのだろうか。初めての経験である。「もとに戻りますよ」とはとても言えるような状態ではなかった。それ以降、色んな足を見てきたがここまで凄いのはこの人より他にいない。まあ、一週間に一度の通院で様子をみて見ましょう。というのが精一杯であった。
さて、最初の施術ではさしたる変化は見られず、本人も多少ガッカリした様子。このとき、使った技法は特にリンパドレナージュ系の技法ではない。主に押圧系であった。リンパドレナージュもできないことはないが、押圧系の技法は施術が終わった後、8時間〜14時間くらいで最も効果が出るものである。つまり、改善効果が持続し、後になって起きる体内の化学変化を期待する技法と言えよう。そう言った意味で私は押圧系を主体にする。それはさておき、一週間後、再来のときが来た。どうなっているか?その日の朝から気になってしょうがないのである。

なんと!元に戻っていた!右足とほとんど変らぬ太さになっていたのである。当然ながら本人も普通に歩けるようになったし、体調もすこぶる良いと大喜びである。本人よりむしろ私のほうが嬉しかったかもしれない。なにせあまり経験がないときであったから、ある種の自信が持てたわけだ。ムクミにはドレナージュという既成の概念への挑戦でもあったからである。理屈で言えば押圧系(単純推圧)よりもドレナージュ系が功を奏するはずなのだが、この人の場合、単純にムクンデいるのではなく、リンパ節の切除によるもであるから、物理的合理性よりその実体を捉えづらいツボ的効果を狙ったわけだ。それがドンピシャリと当たった。人間というのはたまたま理由も分からず成功するよりも、仮説を立て、自分が思ったように実現することのほうが嬉しいものだ。そう言った意味で印象に残った症例なのである。
ムクミの話のついでに述べておきたい。普通のムクミの場合はリンパドレナージュを使う。
前述のように私は押圧系を中心とし、あまり使わないのだが、それでも使うときは使う。私が教えた生徒の1人にドレナージュを研究する女性がいて、彼女が開発したドレナージュ技法は中々優れていると思うので紹介したい。彼女は手掌ではなく拳を使う。両手で軽く拳を握りリズミカルにドレナージュするのである。まあ、そのリズムも絶妙なのだが、これがなかなか効果があるようだ。ちょっとかっこ悪いのが難点であるが(なんか猫の手みたいで)手掌の柔らかさや圧迫感が心地良いと信じている者は、足裏揉みに拳を使うのは分かるが、下腿部に拳でドレナージュするなんて聞いただけで取り入れる気がしなくなるだろう。私もそうだった。しかし、結構効くのである。そして案外気持ちが良い。さらにこれを全身に応用したとき、鬱血しているところ(流れが悪くなっているところ)が見事に発赤し、悪い部分が分かるのである。これを見たときはさすがに鳥肌がたった。最初聞いたときは笑って相手にもしなかったのであるが、一つのことを研究した者には耳を傾けねばならないと痛切に思ったものである。だから、今はどんな初心者の意見にも耳を傾ける。そのような習慣を作ってくれた彼女には感謝している。それにしても、これは盲点かもしれない。まあ技術に特許はないので真似はできるが、彼女がこれを開発したのは1998年である。彼女が開発したということをここで明記しておけば、彼女の名誉が守られるので発表した次第である。因みに彼女はその技法を「六方痩拳術」(ろっぽうそうけんじゅつ)と名付けた。しばらく連絡は取っていないが、今日も「六方痩拳術」を駆使し活躍しているはずである。(因みに私の六方痩拳術は彼女よりズット下手である。見た目簡単なのだが、これはこれでコツがいるらしい。誤解なきよう言うが普通のドレ―ジュはこれでも上手いと自分では思っている。まあ、下肢に限ってではあるが)
ついでながらもう一つ。ドレナージュ系と言えば美脚である。所謂、美脚路線という戦略が我々の業態には存在する。ドレナージュが美脚に功を奏するのはムクミがまだリンパ流を持っているうちである。ムクミ、すなわちリンパの滞留はやがて脂肪細胞に吸収され、水分を含んだ太った脂肪細胞に変化する。こうなったときは手技のみで即効性を得るのは難しい。どちらかというとエステ系に分類されるのだが、エステ系ではその場で効果を得さしめねばならない。そうするとそのような状態になった足をその場で目に見えて改善するということができないが故に、評判を呼ばず、路線としては失敗する。脂肪がガンガンついてパンパンに張ってる足を細くするなんて手技のみでやろうとするとえらく時間がかかるのである。
そこでほとんどのエステサロン(痩身を目的とした)は機器を導入する。中周派とか高周波とかである。特に中周派は筋肉を動かし、脂肪燃やす作用が強いようであるが、しかし、人工的な電気が体内の電場を狂わせはしないかという疑念がある。効き目があればあるばど経絡に干渉し、それが数年、数十年のスパンで顕在化してくるのではないかといつも恐れている。東洋医学は数千年に渡る人体実験の結果として今尚、科学的に証明されずとも使われているわけだから、それなりに信用できるものであるが、電気を体内に流すと言う療法は高々数十年である。副作用が出て来るのはずっと先のことではないかと思うのである。痩身のために電気を使うのはやめた方がいいと思うのであるが、それでは商売にならぬというジレンマに陥って入る者も多かろう。

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★第2話 (膝痛) 2003/4/10

膝痛は数限りなく施術している。一つの症例を特定するのは困難なくらいだ。いずれの症例においても功を奏している。リフレクソロジーは膝痛にはよく効くのである。得意分野といってもいいかもしれない。女性は男性の5倍くらいの確率で膝痛になる。というわけで施術例としては女性が圧倒的に多かった。中年以降の膝痛はほとんど更年期からくる女性ホルモンの枯渇、それにより脱カルシウム現象から軟骨が変形し訴に至るものである。
まあ、とにかく足裏を満遍なく揉み、膝裏もまた丹念に揉み解してあげると、血流が改善し、ある種の復元力が働くらしい。また、突き詰めればホルモンのアンバランスが原因でもあるので、これも同時に改善され効果が持続するのではないかと思っている。
さて、男性の膝痛であるが、実は女性よりも治しづらい。女性に比べ丈夫な膝関節を持ち、ホルモンの関係で脱カルシウム現象も起きづらい。にもかかわらず膝痛を持つということは関節のダメージがかなり進んでいるということだ。
20代の男性が、歩くこともようやくと言う状態で来院した。職業は自衛官。何十キロもの装備を背負い、30キロ〜40キロにわたって山谷を越え行軍訓練をするらしい。彼は膝痛を我慢し、訓練に耐えた。それが良くなかったようだ。来た時はもはや膝が痛んでまっすぐ伸ばすこともできず、私の膝に足を乗せることもままならず、ベットを使い、さらに膝の裏に枕を当てねばならぬほどであった。見ただけで膝が変形しているのが分かるし、触った感覚でも相当ダメージされているのが分かった。折角、来たのだから施術はしたが、これは手術が必要ではないかというのが正直なところであった。そして、医者へ行くよう薦めた。
民間療法によって、現代医学では治らぬものが劇的に改善する場合もある。だから施術家は一種の自信を持つわけだが、この自信が危険な場合もある。それは、自分の治療技術にこだわるあまり、正規の医療を受けるタイミングを遅らせてしまう可能性があるからだ。そんな事例をよく見聞きする。どんな病気でも治せると謳っている施術家には注意したほうがよい。連続して改善例があった場合陥りやすい罠である。これは民間療法だけではなく鍼灸などでもそうである。施術家は自戒してほしいものだ。自らの地位を貶める行為になるだけなのだから。
ところで余談だが、彼はこれほどの膝の痛みに耐え訓練を全うした。若しかしたら日本の自衛隊は軍隊として、ほんとは強いんじゃないかと、そのときフト思った。普通なら歩くことさえ出来ぬはずの状態で、装備を背負い、数十キロを踏破したのである。ほとんど拷問に近い苦痛であったろう。治せなかった症例ではあるがなぜか妙に思い出される印象的な例ではある。
ともあれ、中年女性がかかる膝痛にはよく効く。施術家なら是非、挑戦して頂きたいし、一般の方で、膝痛に悩まれている方が回りにいらっしゃれば薦めてみてほしい。

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★第3話 (腰痛) 2003/4/14

腰痛は病名ではない。腰痛症という症候群である。その原因で最も多いものが椎間板ヘルニアである。椎間板軟骨が変形し、中にある髄核が飛び出してしまうものだ。そして、それが神経を圧迫し痛みが出る。しかし、経験上、医者が治らぬという者も治せたりしてこの病気は一種の自尊心を満足させる。ところで何故治るのか?若しくは軽快させ得るのか?「東洋医学とリフレクソロジー」で少し触れたが、アメリカ人医師、Dr、サーノが「腰痛は怒りである」という本を出版し話題になった。要旨はこうである。耐え難い腰痛を持つ者の腰部レントゲンを撮ると、確かに椎間板が潰れていたりする。ここで当然原因が明らかになるわけだから、治療法として手術なりの選択を提示するわけだ。ところが、彼はその臨床経験の中で、レントゲン所見では歩くことさえ苦痛であろうはずの者が苦痛を訴えるどころかテニスさえ楽しんでいるという例に出くわす。逆にレントゲン所見ではさほどの異常がないのに車椅子を使わねばならぬほど強い痛みを訴える者もいるということを知った。この原因は何か?彼は注意深く、そのような患者を観察し、腰痛の原因は従来言われているような腰椎の器質的な変位によって起きるのではなく、その者が持つ強い怒りが内向することによって起きるとしたわけである。腰椎の変位は痛みを出すキッカケを作るに過ぎないと考えた。まあ一種のトラウマ説である。私が要旨のみを説明すると、そんな結論でいいの?という誤解を生むが、彼の著作はもう少し(といおうか、かなりといおうか)説得力のある事例が提示されている。興味のある方は読んで頂きたい。

東洋医学においては数千年前から心身一如を主張してきた。心の反映として肉体に影響を与え、逆に肉体の変化は心に影響を及ぼすと。東洋医学的見地から言えば、Dr、サーノの説は間違いではない。心の偏重、変調を「怒り」という言葉で代表させたものである。
東洋医学的に言えば、彼の主張は肝―胆の異常から起きた腰痛である。「怒りは肝を傷る」とは東洋医学の原則である。経絡的な変化も当然「怒り」の内向によって惹起せられるわけだから最初に怒りというトラウマがあって、訴に至るのである。
しかし、心の変調は怒りという感情だけではなく不安、恐怖、悲しみ等によっても起きる。
これは腎―膀胱経異常によっても腰痛は起きる、つまり「恐怖」という感情によっても起き得ることを示唆している。(腎―膀胱は恐怖という感情によって傷けられるという原則がある)また、肺―大腸経の異常によっても起き得るのである。(肺―大腸は悲しみ、悲哀という感情によって傷つけられる)
経験上、確かに単純な腰痛はDr、サーノが言うように肝―胆異常(怒りがトラウマになって起きている)だ。しかし、坐骨神経痛に至ってはむしろ怒りではなく「恐怖」が引き金になっている場合も多いのである。つまり。腎―膀胱経の経絡異常である。

40代後半の女性が酷い坐骨神経痛を訴えて来た。彼女は美容院の経営者であった。自身が美容師であるわけではなく、その夫が美容師であって、彼女はその経営管理を任されているわけだ。人も随分雇い、中々規模の大きい美容院経営であるから忙しいらしい。
さて、世間ではよくあることだが、彼女の夫はある程度の成功を収めた後、仕事をしなくなった。経営管理は奥さんがしっかりやってくれるし、美容という仕事も使用人がやるわけだ。どうもその夫は美容師としての技術を高めるという方向性を持たない人のようだ。それだけならまだいいのであるが、美容院の使用人の1人と仲良くなってしまった(仲良くなるという意味は察して頂きたい)そこで、奥さんの立場である。彼女は美容師ではなく、経理等のマネジメントを引き受けているので、ご主人に捨てられると、自分の切り盛りしてきた美容院を失ってしまう。夫はその仲良くなった美容師を奥さんの後釜に据えたいらしい。そのような状況に置かれた場合、奥さんとしてはどのような感情を抱くであろうか。当然、強い怒りの感情を持つだろう。そんな頃から腰痛が始ったようだ。そして、その腰痛が段々悪化していき、遂には坐骨神経痛になってしまった。経験者なら分かると思うが、坐骨神経痛は酷くなると、「陰湿な痛み」としか表現しようがない実につらいものだ。当然、医者にも行った。医者に行く度、入院、手術を薦められる。しかし、彼女は絶対に入院、手術はしたくないのである。留守しているうちに自分の居場所がなくなることを恐れているわけだ。そのような状況で来院したのであった。
初見で、紛れもなく腎―膀胱経異常が出ていることが分かった。この人は、最初は強い怒りがあったようだが、そのうちそれが、恐れ、恐怖に変っていったのであろう。何度か話しているうち、芯はしっかりしているが、基本的に優しい性格の人であることが分かった。
怒りの感情を長く持てないタイプの人なのである。その頃は、自分の居場所がなくなるという恐怖感のほうが強い状態であることがカウンセリングの中で判明していったわけだ。
腎―膀胱経異常もそれを示している。施術回数を重ねるうち、症状も軽快し出し、明るくなっていった。そしてあるとき、いい意味で吹っ切れたようである。考え方が変ったのがはっきり理解できた。それ以降、酷い時は車椅子に乗らねばならぬほどの坐骨神経痛がみるみる軽快し、遂には寛解に至ったのである。
心身一如とは心と身体が一体であるというものである。目に見える世界である「肉体」が“陽”であるならば、目に見えぬ「心」は“陰”である。陰陽思想を身体に当てはめると、そのようにも捉えることができる。“陽”の世界の変化の真因は“陰”の世界にあるとするのが東洋思想である。“陰”の世界である心の変化なくして陽の世界にある肉体の変化はない。結局、病というものは、心の変化なくしては治らないものであるということが分かってきた。心の変化を与えるほどの施術というものが出来たとき、自然に治癒していく。施術技術によってそれが可能であることも分かった極めて印象深い症例であった。

逆に失敗例も記しておこう。同じような年代の女性で同じく坐骨神経痛である。
経験から甘く見ていた。4〜5回の施術で自覚できる改善はあるはずだと。ところがである。全く効果が出ない。普通、時間がかかるものであろうと、施術後の改善感はまず4〜5回のうちには必ず出る。それがサッパリなのである。自分でいうのもなんだが、本当に熱心にやった。全知全能を傾けてと言えば、大げさ過ぎるかも知れぬが、何しろ沽券に関わる。まあ、そのような邪念が邪魔したのかも知れぬ。とにかく変化が起きない。ひょっとするとガンの末期で骨髄に転移している為に起きている腰痛ではあるまいか、などと思ったくらいである。(そんな感じもしないし、そうではないことは後で分かった)
自分の施術がここまで相手の身体に無視されるのは初めての経験であった。
働きかけが出来ない。気に反応しない。焦ると益々、良い施術ができないわけだから、今考えると悪循環に陥っていたのである。根本的には最初に軽く、甘く考えていたということだ。その出発点が間違いのもとである。想像以上に歪みが深かった。
そのうち、反応系統も圧反応も読めなくなってしまった。こうなるともうダメである。貴重な時間とお金を使わせて申し訳ない。施術家人生の中で初めてである。「ゴメンなさい、このペースで続けても、私には治せません」と相手に謝った。
私は、このページを読んでいる読者の想像以上に色んな経験をしている。医者から諦めなさいと言われ、仕事が続けられなくなった退職寸前の消防士の腰痛を治し、復職させたこともあるし、ぎっくり腰で動けない人をその日にゴルフをさせるまでにしたこともある。
しかし、そのような経験が逆にアダになることをこの症例で知ったのである。施術者は常に真摯に、そして人の身体というものを決して甘くみてはいけないということを学んだ。頭で知るのと身体で知るのとは大違いである。文字通り、身に染みた症例であった。「初心、忘るるべからず」とは蓋し至言である。

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★第4話 (甲状腺障害) 2003/4/19

膝痛、腰痛は整形外科的疾患である。甲状腺は内分泌系であるが、我々のところに来る人達は、様々な部位の疾患を抱えて来る。消化器系や呼吸器系、循環器系、婦人科系、心療内科系、果ては原因が分からないという難病系の方まで。考えてみれば病気の見本市みたいなものだ。来院数こそ少ないが、一種の総合病院並の多彩さである。そしてまたそれぞれに対応できる。何故、対応できるのかというと、人の身体そのものに自然治癒力が備わっているからに他ならない。我々のような自然療法家は、その人の持つ自然治癒力をいかに引き出すかというテーマに取り組んでいるわけだ。その手段として様々な方法があろう。骨格の歪みを治すというのも基本的には自然治癒力の発動を期待するものであるし、そもそも鍼灸、漢方薬の東洋医学は自然治癒力発動医学と言えるものである。私はその方法論として足証療法(リフレパシー)を提唱しているわけだ。最強、最良の療法とまではいわないが、その適応範囲の広さ、安全性、そして効果という面から考えて、他の療法に勝るとも劣らないものと思っている。ある種の人たちには劇的な効果を生み出す。そんな劇的な効果があった例を紹介したい。

40代半ばの女性(この年代、故障が多いですね)。甲状腺機能亢進症とのこと。発症は数年前で、以来、その症状に苦しめられてきたらしい。そして、遂に医者から最後通告を受けてしまった。「一ヶ月以内に手術しないと、どうなっても知りませんよ」と。彼女は通院を続けていたわけだが同じ病気を患い、手術を受けた者とも知り合いになれた。その人達の状態を見ると、手術を受けたくないのである。確かに、甲状腺の切除によって重大な危機からは脱せよう。ところが、その後の服薬等によって体内リズムが崩れ、調子が悪いと訴える人達ばかりなのだ。そのような例を目にした彼女としては、手術だけはどうしても避けたい。ということで何か良い方法がないものかと思案し、知人の薦めで来院となったわけである。一応の経過を聞き、期限まで何回ほど施術に来れるか聞いた。4回ほどだという。ということは一週間に一度だ。(正直、そんな無茶な!それで手術を免れるほどの改善まで持っていける自信なんかないぞ、と思った)しかし、たっての頼みである。また、ダメ元ともいう。もしそれでダメだったら手術をするというのだ。施術が効を奏さない場合の対処も決まっているわけだ。私は引き受けることにした。
結論から言おう。4回の施術のあと、医者に行った。そして当然検査を受けたのであるが、医者が驚いたそうである。検査数値はほぼ正常。手術の必要なしとのことだった。
足のうらには甲状腺という反射区がある。彼女の場合、そこにはさほどの異常を感じられなかったので、素直に虚実に従って施術した。反射区に忠実に出ている場合もあるし、そうでもない場合もある。足のうらは身体の歪みの投影、つまり鏡みたいなものであるが、必ずしも症状が反射区異常として、現われているわけではない。そこで「東洋医学とリフレクソロジー」で説明したように臓腑陰陽論や五行説によって、反射区異常と実際持っている症状との整合性を図るわけだが、段階が進めば、それさえする必要がない。素直に一番効く部位を特定し重点とすればよいのである。ただ、一番効くという部位を相手の痛みによって判断してはならない。判断材料はあくまで響きである。因みにこの方は肺大腸系、脾胃系であった。ツボが閉じておらず、響きがあるのは幸いであった。

亢進症だけでなく低下症にも効を奏する。20代前半の女性。この人は高校生のときから
この病気に悩まされ、遂には中退せざるを得ない状況に追い込まれた。病気はどんなものでも辛いものだが、この病気もまた特有の倦怠感、そして気力の不足を呼び、外界との交流を避けたくなるという、特に若い人には若さの象徴である生命の躍動感がなくなり、絶望的な心境になるらしい。高校時代から服薬しており、それでも中々コントールできず、気分の変動が激しい、一種の躁鬱的な症状を呈していた。
残念ながら完治に至らせることはできなかった。しかし、術後、1週間はとても快調であるという。まるで病気をする前に戻ったかのような体調の良さがあるとのこと。このときは2週に1度の施術であったが、せめて1週間に1度、贅沢言えば、1週間に2度来てくれればと思う。しかし、この療法は保険が利かない。日本は国民皆保険制度を取り入れているので医者に行くのが一番安く上がる。同じ先進国でもアメリカなどはバカ高い保険料を支払わねばならず、保険に入れぬ者も多いと聞く。その結果、我々のような代替医療のほうがむしろ安上がりになって、利用する者が多いらしい。一説によると年間5000万人が利用するという。日本においてはある程度、余裕がある人でないと来院してはくれない。金銭的な理由で定期的に来院してくれず、彼女のような例がかなりある。残念でたまらない。かといって、1回の施術料が千円とかでは生活が成り立たず、もうこの仕事はボランティアが一番いいということになってしまうが、それでは全く腕が上がらない(上達しない)。お金を取るプロだからこそ、自分の技量に悩み、苦しむ。だから向上できる。難しいところではある。

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★第5話 (ひどい肩コリ) 2003/4/19

肩コリは病気ではない。(東洋医学的には未病というリッパな病気の一つではあるが・・・)
さて、だれでも(というと語弊があるが)持っている肩コリを何故取り上げるのか?実は非常に印象深い2つの例がある。成功例と失敗例であるが、この連載では失敗例も煩瑣に取り上げるつもりである。普通、施術家は成功例のみを喧伝し、自分の療術の優秀さをアピールする。しかし、神様でもない限り、100%の治癒率というのは有り得ない。あのフルフォード博士(オステオパシーの伝説的ヒーラー)でさえ、治せなかった例がいくらでもある。若し、全部、治せたら死ぬ人がいなくなるではないか。どんな人でもやがて老化によって死に至るわけだ。勿論、自分の技量の未熟さによって治せなかったと思われる場合はそのように、素直に心情を吐露していきたいと思う。

さて、成功例から。
60代の上品な感じのする主婦の方であった。道理で、ご主人は内科開業医(お金持ち?)であるとのこと。さすがに、内科医であっても奥方の肩コリを治す手段を持たぬらしい。(当然であるが)この人の肩コリは酷かった。どれくらいかというと、まず、一週間に一度必ず温泉に行く。温泉に着くと、すぐにマッサージにかかる。時間は一時間程とのこと。それからゆっくり温泉につかり、身体をほぐす。凄いのはここからである。ゆっくり温泉につかった後、すぐにまたダブル(2時間)のマッサージにかかるというのである。つまり、その日は温泉に入るのに前後して3時間のマッサージを受けるのである。これを一週間に一度必ず行う。そうしないとコリでどうしょうもなくなるというのである。こんな話はあまり聞いたことがない。まあ、お金があるからできるのであろうが。
さて、足証療法の特徴の一つは、足部按圧によって全身のツボが開くというものである。彼女はまだ、本当に身体を緩ませる足部療法を受けたことがないのが幸いであった。
ゆっくりと足底部から圧を浸透させていくと、少しづづ身体が緩んでいくのが分かった。そして、足部の施術が終わった直後、身体がかなり楽になっているので本人が驚いていた。さらにここで帰しては勿体無い。折角、身体が緩み、ツボが開いているのである。彼女の苦しいと訴える部位(肩甲骨周り)を伝統的な押圧技法によって、施術してあげた。足部施術も入れて全部で90分程である。さて、その結果は?(成功例から話しているので察しがつくと思うが)
施術が終わった後、信じられないような顔つきで言った。温泉に入って、3時間のマッサージを受けたよりも楽になったというのである。そして、翌日も来た。「昨夜のように身体が楽になり、ゆっくり眠れたのは何十年ぶりかしら!」とわざわざ報告するためである。まもなく、私は故郷に帰らなければならない。(当時、私はさすらいの施術者であった。売れない芸人みたいだなぁ〜)その旨話すと、とても残念がっていた。
コリを取ろうと、力ずくで押しても、揉んでも身体は余計に硬くなる。そして、最終的には常識では考えられないような力を要求するようになる。いわゆるマッサージジャンキー化するわけだ。事実、彼女の場合も、彼女の要求する力に応えられる施術者は、行きつけの温泉には1人しかいないという。私はほとんど力は入れないし、無理な押圧はしない。それが彼女に分かるらしい。だから、余計驚いていたわけだ。
この例はうまくいった例であるが、マッサージなり指圧なりを受け続けた人には実際、苦労させられる。ツボが潰れているのである(感受性が鈍くなっているということ)。さらに足裏を棒などでガリガリ擦ったりする体験を持つ人は最悪である。力を強くすれば満足感なり、爽快感なりを与えることはできるが、そうすると益々、ツボが潰れる。体力があるうちはその人の持つホメオスタシス(身体維持機能)で誤魔化せるが、弱って病気になった場合、対処法がなくなるのである。ツボが鈍感になるというのは間違いなく寿命短縮作用があるのだ。だから、強い押圧ではなく深い押圧をすべきだと提唱しているが、理解している人は少ない。彼女の場合、確かに体幹部のツボは潰れていたが、足裏は開いていた。それが幸いしたのである。

失敗例を記そう。前の例より随分過去の話である。50代前半の男性。この人は実業家で、大変な成功を収めていた。当時、多少のコリを持つ者に対しては、そこそこ満足させ得ていたし、誉められもしていた。いわば天狗になりかけていた時期であった。そして、技法的にはまだ力に頼っていた時期でもあった。
昔、クイックマッサージというのが流行ったことはご存知であろうか。ベッドではなくうつ伏せに座らせる椅子を使うものである。その人は実業家であるから忙しいらしく、あまり時間がないという。そして、酷いコリ症だと訴えた。足揉みも大好きだが、今は肩を揉んで貰いたいということだ。足を押圧しないで肩だけ揉んでもあまり長く効果は続かない。(だからクイックマッサージは廃れた)それを知りつつも、引き受けた。クイックマッサージ用の椅子によってである。さて、その人の身体であるが、まるでコンクリートのような硬さである。全く指が入っていかない。そこで、力を込めた。ところが力を込めれば込めるほど反発されるのだ。今ならその理由も分かるが、その当時はとにかく、反発されればその反発を封じ込められる程の力を持てばいいと思っていた。ところが全く通じない。反発されたまま、施術が終わってしまった。明らかに不満足な様子である。こういうときほど、施術家として情けないものはない。完全に施術家として軽蔑されてしまったのである。失敗例とはこのことではない。実はその日の内に今度は若い女性を施術する機会があった。その女性は体格もよく、それなりに身体も硬かったのである。そこで先ほどの男性のことが頭をよぎり、今度は失敗すまいと思って最初から強圧したわけだ。大失敗だった。
その女性の肩甲骨のスジを傷めてしまったのである。人の身体の感受性は様々である。刺激閾も違う。このときの体験から、押圧とは何かということを本気で考えるようになった。天狗になりかけ、そこそこできるなどと思っていた自分が恥ずかしくなった。自己満足と自己陶酔の世界から別れを告げる記念すべき失敗例ではあったが、以後、押圧の本質というものを求める険しくも困難な旅立ちの日でもあったのである。

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★第6話 (ED) 2003/4/28

施術百話は、特に1話ごとのテーマが決められているものではないし、締め切りがあるものでもない。パソコンの前に座り、思いつくままに文字を打っていく。というわけで、西洋医学的な系統など全く無視したテーマが順番となっている。整形外科的な疾患が続いたと思ったら、いきなり、甲状腺疾患がテーマになったりするわけだ。かと思うと、病気とは言えない、肩コリがテーマになるという、HP訪問者からすれば、何とも不思議な順番で並んでいるな、という感想を持たれるだろう。
いずれ、この連載も終わりになろう(いつになるか全く予想できないが)。その時、系統別に並べ替えるかも知れないが、現状ではこのスタイルでいくことをご了承願いたい。

さて、今回はEDである。読者から要望もあった。(若し、要望があれば、気軽にメールで知らせてほしい。経験のあるものなら、優先して取り上げる)
ED、一昔前はインポテンツと言ったものだ。現在はあまりにも思いやりのない言葉だということでED(勃起不全)と言うことになっている。(確かにインポテンツは不能者という意味であるから、思いやりがないどころか差別語に等しい)
もともと、足への施術は、中国では性的な魅力を高めるという意味合いがあった。つまり、回春作用を期待するもので、そして、実際に効果があるのである。これは男性、女性を問わない。不老長寿とは性的能力を如何に維持するかということでもある。いやらしいなどと思わないで頂きたい。性欲のあるうちは人は老いない。見かけ上の老け具合も違うだろう。そこで、セックスを健康法として体系化した医書もあるのである。(医心方、第28巻、房内)この書などをみると、よくもまあ、ここまで微に入り、細に入り記述しているなと思う。そして、古代中国人のあくなき探究心には脅かされる。
それはさて置き、老化による勃起不全にはよく効く。中国で、民間療法として実践されてきただけのことはある。私の経験はほとんど、副次的効果のもので、勃起不全自体を治してもらいたいということで来た人は少ない。これは当然であろう。こういうものは中々、言葉に出して相談しづらいものだ。特に中高年は自然の摂理と諦めている人も多いからである。一抹の寂しさを感じながら。(現在はED専門外来を持つ病院も増えてきているようである)
60代の後半の商店経営者が、膝と腰が痛いといって来院してきた。施術を継続する中で、膝と腰の方はかなり良くなったのであるが、あるとき、小声で、あたりをはばかるような態度でソッと打ち明けた。「先生、実はね、足揉みをやってもらってからね、朝がね!凄いんですよ」最初、なんのことだかよく分からず、キョトンとしてしまった。すると、その人はジレッタそうに、「これですよ!これ!」といって、自分の腕を九の字に曲げて、前腕を何度も上下させて見せた。それで、やっと了解したわけである。所謂、「朝立ち」現象というやつである。その人は大変に喜んでいた。この喜びは、女性には分かりづらいことかもしれない。男として威厳を取り戻せたようなそんな気がするのだろう。私もそろそろ、その人の気持ちが分かりかける年代になり始めている(まだ小僧のくせして生意気言うな!と年配者に怒られかも知れぬが)。いずれにせよ、それ以降、それに類する話を聞かされたことは一度や二度ではなかった。
EDの原因は大きく二つに分けられる。器質的なものと、心因性のものとにである。勿論、複合型もあるかも知れない。勃起という現象はそもそも、陰茎にある海綿体という組織に血液が流れ込み、いわば充血させて起きる現象である。これは腎臓機能の低下や動脈硬化、糖尿病などによっても機能不全になる可能性が高い。これが器質的な要因というわけだ。足揉みはそれぞれの症状を改善させ得るので、副次的な効果はこの辺から出ているのかも知れぬ。恐らくは血流の改善が一番の要因であろう。或いは脳への反射刺激がホルモン分泌に影響を与えるのか・・・さて、真性ED(この言葉はちょっと変であるが、全く勃起しない状態と思って頂きたい)の人を診たことがある。これそのものが悩みであり、この状態を改善したいという珍しい例であった。まだ、30歳になったばかりでの青年である。聞けば、性行為は全く出来ないとのこと。深刻なのは、後継ぎが出来ないということだ(当然だ)。奥さんのお父さんの事業を継ぐために、婿入りしたものらしく、その人自体は優秀で、充分期待に応えていただろう。しかし、性行為が出来なくて、子供が出来ないというのは立場上、複雑なものがあると思う。勿論、器質的変位は全くないという病院のお墨付きを貰っていた。ということは完全な心因性のものだ。ちょっと、これは分野が違うのではないかと思ったが、引き受けることにした。何事も経験である。2〜3回の施術後、奥さんから電話があった。その口調は明らかに不満を訴えている。当時、私も若くて未熟ではあったが、バカではない。その奥さんの口調、語勢から、その人の家庭内の様子がどのようなものであるかピンとくるくらいの感性は持っているつもりだ。このとき、直感した。私には治せないと・・これはご夫婦で専門医にカウンセリングを受けたほうがよい。今から考えれば、諦めが早すぎた感も否めないが、このまま続けても、お互いストレスが溜まる。保険も利かない民間療法を続けているのにまだ、役に立たないの!という責めるような言葉が、ご主人のトラウマをさらに深めていく。つまり、施術を受けていること自体がプレッシャーとなってマイナスになる。こうなると、どんな療法でもマイナス効果しか生まないであろう。むしろ奥方に対するカウンセリングの方が必要な位である。良き専門医を探すことを薦め、私の施術は数回で終わりにした。人とはかくも多様で繊細なものであるか?東洋医学への関心が芽生えた印象的症例ではあるが、ほろ苦い思い出となって、まだ胸に燻っている。

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★第7話 (手の痛み) 2003/6/24

代表的なものでは、手根関節炎やバネ指、突き指などがあろう。
このように手に症状が出ていて、それを足部刺激で治そうとする発想自体が東洋医学的と言っても良いだろう。何故、足を揉んで、手の症状が改善されるのか?
足部反射療法では相対応反射という理論付けをしている。読者には足揉みを専門的に習ったことがない人もいると思うので、この理論を簡単に説明したい。
要するに手と足は同じような部位にお互いに反射が起きるとした理論である。例えば、右足首と右手首は対応関係にあり、右足首を入念にマッサージなりすれば、当然右足首の血行がよくなる。そしてそれが右の手首に触らずとも当該箇所においてそっくり再現されるというものだ。この反射関係を四肢における相対応理論というわけだ。
私は、この理論に実感が持てない。仮に反射が起きたとしてもそれはごく弱いものではなかろうかと、いつも思ってきた。むしろ経絡反応ではないだろうか、と。最近ばね指の方を施術して改めてそう思うに至ったのである。そのことを含めご紹介したい。

最近のことなどで年齢、性別は伏せさせて頂く。
左手親指がバネ指で曲がらない状態で来院された。私もバネ指は経験があるのでその不便さと不快さはよく分かる。足部での反応の強いところは足心点であった。足心点は腹部丹田との関係が深く、古典では「気の呼吸」を行う重要な箇所としている。(最近はこの部分が潰れている人が多い。つまり歪みが深い人が多いのである)
この方は強い有痛反応があった。一般に初期の頃、足揉みを習った人達は「痛いところが悪いところ、痛くなくなるまで揉みまくろう!」などと教わった記憶があるかもしれない。
ある意味当たっていないこともないが、もう少し認識を深くすべきである。有痛反応のあるところはむしろツボが生きている。足心点の有痛反応が強いからといって、グリグリと擦るような施術をしてはせっかくの生きたツボを殺してしまう。(ツボが閉じる)
そこで、多少の痛みは我慢して貰って(響きが痛みによってかき消されないような)力で深く按じた。そうすると、はやり腹部に響くようであった。グルグルとお腹が動き、かつ腹部の中が熱くなりそこから外へ向かって何かが発散していく感覚を持ったようだ。
その方は特に経絡反応がよくでる体質の持ち主である。初回からそこまでの感覚を持つ人は少ない。しかし経絡反応が起きやすい人は改善も早いのである。足心点を中心に足揉みをした結果、もう曲がらない指が曲がるようになった。
その後は全身調整と、手の肺経の按圧で、感覚的には80%位治った感じがするというところまで来た(一回の施術で)

相対応反射理論では手の親指の付け根を治そうとすれば、施術ポイントは足の拇趾の付け根ということになるのであるが、それほど単純なものではないのである。
では、すべてのバネ指の人は足心点が功を奏するかというとこれも人によって違う。
経絡治療とは仮に同じような症状でも歪んでいる経絡の種類によって、抑えるべきポイントが違うわけだ。そのようなことは周知の事実として認識している読者も多かろう。問題は足と手に来ている経絡は同一のものがなく、経絡的な判断を足部で行うと全身をカバー出来ないだろうという意見があることである。
これについては既に増永静人師が全身12経を発見したことで解決しているし、観点はちょっと違うが、例えば、胆経の押圧によって小腸経へ響きが起きる場合もある。これは経絡が損傷伝導系であるとの説を裏付けるものだ。したがって、全身12経を持ち出さなくとも全身に影響を与え得る根拠となるだろう。

さて足心点は気の呼吸を行い、臍下丹田への影響が顕著であると述べた。ということは腎経と関係が深いと言える。しかし、臨床経験上、足心点は腎経ばかりか、全ての経絡を統べている箇所ではないかと思うに至った。頭頂部に「百会」というツボがあるが、百脈の集まる(出会う)ところと言う意味で付けられた名だそうだ。足心は足部における百会みたいな存在ではないだろうか。足心という言葉自体は江戸時代の禅僧、白穏によって初めて付けられたもので、中国古典にはない。これは中国医学が湯液分野は別にして鍼術のために体系化されてきた歴史を持つためであろう。足心点は鍼には向かない場所であるし、お灸もしづらい。手技法こそがこの部分を充分に刺激し得るのである。しかし、ここの按圧は相手をうつ伏せし、床(ベッド)で足の甲側を支え、押圧しても角度がつくためと、足甲が床(ベッド)で潰れていくために上手く足心点の底には届かないものだ。
そこで技法的な工夫が必要となり、それを行い得た者がいないのである。
充分に深く、充分に長く圧を安定させる技法が要求される。それを行い得た時、はじめて足心点の真価を得られるだろう。

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★第8話 (糖尿病) 2003/7/10

足心の話が出たついでに、糖尿病との関連について述べておきたい。
朝日新聞社の記者が、自らの体験をもとに「糖尿列島」という本を出版したのは、10年程前だったろうか。この類の本としては名著の誉れが高く、実際参考になった。それによると、現在(10年前から)、日本人の10人に1人は糖尿病、若しくは高血糖だそうだ。ということは1千万人を超える患者(潜在的患者も含めて)がいるということになる。
糖尿病とは何か?とか、そんなことをここで説明しても仕方がない。要するに何らかの原因で糖が細胞に吸収されづらくなり、血液中に糖分が残留する形で、血糖値が高くなる病気のことである。これは血管をダメージさせる。血管がダメージされれば、脳卒中や心筋梗塞、腎臓病が合併症として起きやすい。要するに寿命が短縮される確率が高いのである。
それ故、血糖値のコントロールが絶対に必要な病気ということだ。

さて、糖尿病は、数多くの方の施術経験がある。
足揉みは、わりと血糖値を下げ得る療法ではなかろうか。実際、劇的に下がった例が数多くある。しかし、完治は無理であろう。下がったからと言って、またもとの不摂生な生活に戻れば、血糖値は跳ね上がる。一生付き合っていかねばならない病気の一つではある。

このような例があった。
ある外資系日本法人の社長。社長になってから20年、休日以外自宅で食事をしたことがないという。米国本社の役員との会食、業界人や政治家との会合、部下との会食・・・昼の仕事もさることながら、夜の会食が仕事みたいなものだと言っていた。
そんなことを20年も続けていたらどうなるか。当然、身体にガタが来るだろう。その方は、糖尿病が発現しやすい体質であったようだ。あまりに疲れやすく、異常を感じたので医者に診てもらうと、なんと血糖値が300を超えていた。総コレステロール値は500近くあったのである。このままだと当然危ないではないか。モロに血管系の病気で倒れる可能性が高い。
この方の経営している会社自体は、頑張りの甲斐があって、文句のつけようがないほど業績がよかったようである。もう20年も社長をやっているので、後進に道を譲り、自分は家族と共に田舎で引退生活を楽しもうと決断した矢先のことであったそうだ。

冒頭に足心点の関連で・・と述べたが、実はこの方も足心点が最も反応する箇所であったのである。しかも、腹部どころか「頭のテッペンまで響く」と言う。足裏から体幹を通って頭頂まで突き抜けていく・・もうこれ以上施術としてやることはない。経験から言ってこのような方は改善が早い。従って、改善は早いという旨を告げた。

結論から言えば、数回の施術で検査数値が正常値に戻った。勿論、摂生もしたようだ。経営している会社を優良企業に育て上げ、その間多くの苦難に打ち勝ってきた人である。克己心は並ではなかろう。夜の会食をキャンセルすることなく、工夫し(食べ過ぎないように、アルコールを飲まないように)、食のパターンを変える努力もしたそうである。そして、無事引退するまで、体調を維持しておられた。念願であった田舎での引退生活をするまで、十数回の施術を行ったが、正常値をずっと維持されていた。
因みにこの方は、インスリンも血糖降下剤も投与しなかった。足揉みと摂生によって維持したのである。今も都会の喧騒から距離を置き、田舎で元気に第二の人生を送っているに違いない。

さて、前出のバネ指も、この方の糖尿も、同じ足心点が施術ポイントとなっている。西洋医学的には全く考えられない。まるで違う病気で同じ治療法とは。ましてやバネ指と糖尿は病の形態としては違い過ぎる。診る科さえも違うのである。にもかかわらず、同じ足心点で著効を得ている。勿論、バネ指の項でも述べたが、すべての糖尿に足心点が功を奏するわけではない。人によって違うわけだ。これらの現象をひっくるめて、東洋医学では「異病同治」、「同病異治」という。基本的に、東洋医学は病名診断を必要としない。身体の歪みを問題とするわけだ。100人いたら100通りの、1000人いたら1000通りの歪み方がある。しかし、そのような無制限な歪み方を相手としていたら、煩雑になり過ぎて治療法を確定できない。そこで、歪み方をある類型に分類する。つまりパターン化するのである。そのパターン化されたタイプ別体質(歪み方)を証というわけだ。
足部療法において、足心点が功を奏するタイプの人は「足心の証」とも言えるわけで、それは病名が何々だから、という判断ではなくなる。
この百話で、病名、若しくは症状を単位として取り上げているが、これは一般の人に分かりやすくするためであって、本来は証ごとに取り上げるべきものであろうと思う。しかし、それは無理というものである。だれも理解してくれなくなるからだ。証については、また「施術雑感」で述べたいと思う。
いずれにしても、足心点が功を奏する(体幹へ響く)タイプの人は、どのような病名がついていたとしても、著効を得やすいのである。しかし、完治するかどうかは、また別の話である。
これは、「施術雑感」でも述べてあることなので、参照して頂ければと思う。

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★第9話 (九州一、身体が硬いと言われた女性) 2003/7/17

「あなたは日本一とまでは言わないが、少なくとも九州で一番身体が硬い人だ!」とある指圧師に言われたことがあるそうだ。年齢は50代半ば、4回の開腹手術(卵巣摘出等)の既往歴がある女性である。他所でも指圧等に行くたびに「あなたほど硬くて揉みづらい身体の人はみたことない」と何度言われたことかと、言っていた。九州在住の方だが、たまたま仕事で東京に出張され、知人の強い薦めで来院された。主訴はとにかく酷いコリで、腕さえ自由に動かせないほどだという。常に身体が重く、常にだるさもあって調子の良いときがないし、このつらさはだれにも分かって貰えないという。

第五話で紹介した「酷い肩コリ」の女性も凄かったが、この方もさすが「九州一?」である。凄いの一言。それ以外の表現方法を知らない。コリが足部まで及んでいて、纏足(てんそく)をかけたような足底と、足甲までまるでシワ取りの整形手術を受けたかのような不自然な皮膚のツッパリさえある。人の身体のような感じがしないのである。サイボーグみたいだ(勿論、人造人間に会ったことはないが、感覚としてそんな感じということ)
しかも、以前は指圧等にはよく行っていて、ツボが潰れている(今はあまり効かないので行ってないとのこと)。
“こりゃ、難敵だ・・どうしようか・・”正直なところそんな感想を持ったものである。
しかし、第五話の女性と同じように強くコスルような足揉みは受けたことがないとのこと。そこに一縷の望みを繋いだ。如何に足底まで硬くなっていようと人工的な刺激によらないかぎり、自然に足底のツボまで潰れることは考えづらい。足裏バージンということだ。

セオリー通り、足甲側の楔状骨を中心にまず緩めた(通称フネフネという技法だが、クネクネとフニャフニャの合成語だと思う。技法そのものは私の発案だが、命名は私ではない、多分生徒さんだと思う・・・足を揉む前に足底筋を緩めるのには最適な技法である。医学的な香りがしない技法の名称ではあるが、受けてみるとまさにフネフネという感じで気に入っている名だ)。するとかなり足底が緩み始めた。“これはイケルな”という感じがした。足部、特に足心が開けば、身体全体が緩み、身体全体のツボが開く。そうすれば、いかに「九州一」であろうと、整体でコリを取ることができる。これは足揉み師の特権であろう。他の療術に優っているところがあるとすれば、まさにこの一点なのである。身体にはこのような特性があるのに、一般の足揉み屋さんはそのことに気づいてない。宝の持ち腐れだと思う。それどころか、業者がツボを潰している場合さえある。身体が硬いよりも何よりもそのような人が来るのが一番困る。幸いこの人は大丈夫だ。さて、足裏がかなり緩んだあと、足心からいきなりやるか、それとも少陰区若しくは太陽区から押すか、ちょっと迷った。足心からやって圧度を失敗すれば、ツボが奥へ逃げる。また、いきなりだと防衛の為、表面が緊張するかもしれない。この人の場合、そう毎度は来れないであろうから、失敗は許されない。どうしたものか?やはり大事をとって少陰区からやろう・・・文章にすれば長ったらしいがほとんど一瞬の判断である。少陰に充分な圧を加え、安定させた。手応えありである。さらに太陽区に同じような操作を加えた。そして初めて足心への押圧。どうであろうか。微妙に抵抗していたが、最後、受け入れてくれた。成功である。最初の5分で施術の良否は決まるものである。この時点までで手応えがあればあとの施術は楽でしょうがない。下腿部経絡4ライン、特に、開腹手術を行っているのとコリ症であることから、小腸経(血流)と三焦経(腹膜)を重点に行った。両足で約50分。足の施術が終わった旨告げたところ、「わぁー驚いた。肩が楽になっている!」とのこと。案の定、手応え通りであった。
さて、残り40分で整体をやらねばならない。ここで有頂天になっては失敗する(何度失敗したことか)。施術者はお客様が玄関の戸を閉めるまで気を緩めてはならない所以でもある。足部への施術が成功したわけだから、硬く閉ざされていた身体のツボは開き始めているのは間違いない。これまたセオリー通り、頭部のツボを軽く押圧し、緩ませることにした。あまり時間はかけられないが、ここをやっておくと、施術の効果が長持ちする。また強い瞑眩反応を防ぐという意味合いもある。特に「百会」の気の呼吸を図ることは言わずもがなでもあろう。さらに前頸部、胸部、股関節の外側へと操作を移していった。

面白いことにこの方、足の施術の時はおとなしかったのであるが、整体に移ってからは「わぁー凄い!」とか「効くぅ〜」とか「気持ちいっっ〜」とかの連発であった。要するに響いているのである。わずか40分の間に50回以上は言ったであろう。こういう人も珍しいが、それだけツボが拘束され、邪気が解放されることが長い間なかったのである。「だれもこのつらさは分かってくれない」という意味がよく分かる。時には唸るように、時には雄叫びのように声を発していた。前頸部の操作の場合、響くといっても普通は前腕までか手の指先くらいまでであろう。ところが、この人は頸部から足の指先まで来るという。あまりに気の滞りがきつくて、足部操作によりルートが開通し、それが一気に流れたのである。これがツボが開くという典型だ。私が意図するところのものなのである。
「先生、手だけで?手だけでやっているの?」私が何か電気を流すような装置を隠しもっているのではないかと思ったものらしい。「勿論、手だけですよ」といったら「信じられない!こんなの初めて・・」ほんとに手だけでやっているのかと疑われたことは何度かある。
これは、足底部のツボを開かせた結果、響きがおきやすい為であるから、足揉みの世界にいてよかったと思う瞬間でもある。他の療術家では中々味わえない喜びではなかろうか。

さて、ちょうど90分の施術のあと、その人は別人のようになった。文字通り“別人”である。眉間の縦皺が取れ、なんとも言えないおだやかな顔つきになったのである。施術前よりも10歳は若返っていた(ちょっとオーバーかな、しかし少なくとも私はそう感じた)。女性は化粧でも衣服でも誤魔化せない内面の美しさというものがにじみ出ることがある。それは生命の輝きともいうべきものであって、少なくとも、疲れを溜めている状態では出ないであろう。この療法は究極の美容術でもあると思うが、どうであろうか。(大変失礼ではあるが、この方の施術前は中年の女性というよりも疲れきった老婆という感じがした。術後、美人に変身したのである。まるでテレビ番組でよくやる整形前と整形後の違いみたいだった)

かくして九州一?身体の硬い女性は深い満足感を漂わせながら、再会を約して九州へ帰られた。その内、四国一とか北陸一、関東一という方も来られるかも知れない。しかし、足底、特に足心が閉じていなければ大丈夫だ。日本一でも世界一でも・・・足心さえ閉じていなければ・・・(足心を閉じさせる業者は万死に値するぞ!)

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★第10話 (月経困難症) 2003/10/28

久しぶりの更新である。先日、雑感(12)の更新をしようと、文を書き出して驚いた。なんと文章が書けないのである。もともと文章は得意でもないし、早いほうでもない。それでも何とかかんとかつらい思いをしながら書いていたものだが、しばらく多忙に紛れ、書かないでいたら全く書けなくなくなっていた。ウデが鈍るという程の文章のウデはないが、書かないでいると間違いなく退化するものなんだなぁ〜と改めて実感した次第である。

これは施術にも言える。私の場合、文を書くのは余技みたいなものだが、施術は専門だ。しかも、身体に染み込んでいるはずの動作でもある。ところが、しばらく施術を離れると、ホントにカンが狂う。以前、リフレクソロジーの某学院で教えていたことがあるが、そのときは教えることと、総務的仕事が主になり、現場で施術する機会がほとんどない状態であった。辞める一年位前では教えることさえ少なくなった。それから、また自分で独立し施術することになったのであるが、カンを取り戻すのに2年はかかってしまった。
ある芸能の世界での格言である。
「練習を3日休めば、観客にも分かる(芸が衰えていることが)。2日休めば観客には分からないが専門家の目は誤魔化せない。1日休んだら、観客にも専門家にも分からないが自分自身には分かる」と。有名な格言なのでご存知の方も多いだろう。
元に戻るには休んだ日数の倍はかかるという―実感である。

さて、前置きが長くなってしまった。ただでさえ拙い文章であるが、ここは専門外であるということでご容赦願ってしばらくお付き合い願いたい。

生理痛や生理不順等、婦人科系に足揉みはよく合う。内膜症であったとしても、それがよほど酷くなければ改善される。足揉みは本当に便利だ。勿論、足だけで、すべての人に有効というわけではない。今回は雑感(12)で、折角フルフォード流オステオパシーに触れているので、それに関連する症例を一つ。
40歳過ぎの方で、生理痛が酷いという。痛みが絶頂のときは、お腹を押さえたままうずくまり、一歩も動くことができない。加えて、消化器系の不快感も半端ではないくらいあるという。要するに、一番痛いときは何処が痛いのか分からなくなるくらい、お腹全体が痛いとのことだ。生理痛が上腹部に及ぶという珍しい例である。
さて、足を精査しても、確かに子宮の反射区近辺には有痛反応が見られるが、その他は特に問題とすべきところがない。足心も閉じているとは思えない。そこで、頭を触ってみた。驚いたことに全く動きが感じられないのである。フルフォード博士がいうところの“ブランク”状態である。また、前頸部その他の響きも極めて弱い。聞くところによると、最近仕事を始めてから、このような症状になったとのこと。明らかにストレスによるものだ。非常に強いストレスが頭蓋骨の動きを止めたのであろう。足だけでも改善されるだろうが、時間がかかることが予想される。次の生理が来た時には改善されているという状態を作りたかった。足は子宮の反射区近辺を中心に(仙尾骨も含む)施術し、頭部の施術に重点をおいた。頭部はすぐに動き出した。これである種の確信を得たわけだ。次の生理には改善されていると・・その旨話して、生理が来るまで数回の施術を行ったが、案の定、症状は極めて軽く、ほとんど出なかったと言っても良いレベルになった。

人の身体は本当に面白い。なんの関係もなさそうな部位の操作で、このような結果を生むこと度々である。ただし、オーダーメードである。その人の弱点(東洋医学的には虚実というが)を見つけ、その部分を重点とする。ところが、それが中々難しいわけだ。また、見つけられたとしても、歪みがあまりに深く、改善に時間がかかる場合も多々ある。
苦しくも楽しい施術家業というわけだ。現場で常にこういう状態に直面し、悩み苦しみ、そして喜ぶ。整体、リフレ学校花盛りだが、人の身体は時代とともに変化し、証が変わる。その最先端に身を置くことによって、人に教えることができるのではないか・・“なんちゃって講師”が多すぎるような気がするが・・宣伝のうまい者が勝つという資本主義社会であるから止むを得ないのか。最後、愚痴になってしまった。やっぱり文章のカンが狂っている。

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