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施術百話


イラスト:Machiko Watanabe

施術百話掲示板 (第20話〜) 第31話・第32話 5/9 up

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★百話と言うくらいであるから、百の症例をご紹介するコーナーである。
但し、完結まではしばらくかかるだろう。文章を練って、表現するという作業は結構大変なのである。このページを開ける度に新しい項が増えていて、かえってページ訪問者には楽しみがあると思って頂けることを期待し、無謀にも連載することにした。
わずかな糧にでもなれば望外の喜びである。



第11話 (心臓神経症) 2003/12/3
第12話 (インソムニア) 2005/4/2
第13話 (毒素排泄) 2005/5/22
第14話 (過敏体質) 2005/6/26
第15話 (非歯原性歯痛) 2005/7/3
第16話 (高脂血症) 2005/12/5
第17話 (寝違い) 2005/12/25
第18話 (五十肩) 2006/3/24
第19話 (メニエール) 2006/9/14

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★第11話
 (心臓神経症) 2003/12/3

私のHP連載の中では、この百話が一番人気があるらしい。あまり、知られているHPでもなく、限られた人達によって支持されているのだが、それでも楽しみにしている人がいるということは嬉しいことだ。しかし、書くほうとしては百話が一番難しい。細かい部分では、記憶違いもあるだろうし、なにより一つの症例を読み物として仕上げるというのは、私如き文章力では力不足である。既にここまで、原稿用紙(400字詰)換算70枚を軽く超えているが、読み返してみると、表現力が乏しすぎる。そう感じてしまったら書く元気が全く出ないものだ。人は理性より感情や気分に支配されるものである。
それにもメゲズ、また続けよう。自身を鼓舞するしかない。楽しみにしている人が1人でもいる限り・・・

40歳男性、主訴は左肩から胸にかけての疼痛とのこと。つまり、自覚的には心臓に異常を感じるというのである。当然、場所が場所だけに医者に行った。検査の結果、不整脈は見られるものの、すぐに治療を要するようなものではないとのこと。要するに、原因が分からないということだ。
この方の場合、典型的な首の異常から来る症状である。首から出ている迷走神経が圧迫され、不整脈として現れる。疼痛はコリの限界を超えているためである。実はこのような人が非常に多くなってきた。コリを放置しておくと、あまり感じなくなる。それは感じなくなっているだけで、治っているわけではない。やがて、もっと強いシグナルが現われる。その強いシグナルの一つがこの方のような症状なのである。さらに放置しておくと、本当に心臓がダメージされる。本来、非常に強い臓器である心臓がこのような形で弱り、寿命が縮む。なんと勿体無い話ではないか。
幸い、この方は早い時期に来て頂いたお蔭で、一度の施術で疼痛が取れた。心臓に対する不安感もなくなったようだ。施術そのものは、スタンダードなものである。足部施術で身体を緩ませ、首を重点として行った。勿論、頭蓋の微細な動きも回復させたわけだが、さほど時間はかけていない。60分コースで充分であった。このように来院するタイミングによっては時間もかからず、一度の施術で功を奏する。しかし、症状は取れても、長年溜めてきたコリ(邪気)である。オーバーホールするまでには至らない。しかも、日々の生活でストレスを溜めているわけだ。とりあえず、あと少し通ってもらうこととした。

西洋医学の目覚しい進歩によって、症状を劇的に抑えることができるようになった。その恩恵を受けているお蔭で、平均寿命も延びたわけだ。しかし、症状と原因は全く別のところにあったりする。このような場合、西洋医学的には原因不明、若しくは神経症と診断される。我々は法的には医療者ではないが、大事に至る前に来られれば、その原因を突き止め、除去することが可能だ。折角やるのだから、その原因がどこからきているのか、考えて施術することが重要だと思う。そういう考え方が広まれば、所謂、代替医療としての価値が認められるのではないだろうか。代替、相補という言葉を使っている団体もあるが、相補とはいい言葉だと思う。相補うという意味であるから、西洋医学で不得意な分野を受け持ち、東洋医学やホリスティック医療で不得意な分野を西洋医学が受け持つ。文字通り、相補うわけだ。この考え方が広まれば、どれだけ多くの人が恩恵を受けることになるか。法的整備を含めて、国家百年の大計であろう。国民の生命、財産を守ることが国の役割なのだから。

心臓神経症から国家百年の大計にまで話が飛んでしまった。要するに、この度の方は比較的早いタイミングで来られたからよかったものの、普通は「もっと、早く来てくれればなぁ〜」という方が多いからなのである。現行制度では我々のような業種は認知度も低く、信頼性も低い。これは多分に業者の姿勢にも関係している。これについては雑感で述べるべき事柄なので今回は深く言及しないでおこう。

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★第12話 (インソムニア) 2005/4/2

“不眠症”のことをインソムニアと言う。医師か、余程の博識でないと知らない用語であったものが、映画「インソムニア」で一躍有名になった。ハリウッド・リメーク版では、アル・パチーノが相変わらず、秀逸な演技を見せていて、インソムニアから判断ミスが起きる過程が活写されている。見ていて、気の毒になるほどの“つらさ”が伝わってくる。やはり、アル・パチーノは名優である、と再認識できる映画であった。そういえば、ロビン・ウイリアムスが初の悪役を演じたということでも話題になったが、ロビン・ウイリアムスは「レナードの朝」でパーキンソン氏病の実態や、ドーパミン、Lドーパの名称を一般に認識させるのに一役買っている。インソムニアといい、パーキンソン氏病といい、病気や症状が映画の題材や“絡み”に使われることが多く、私達のような仕事をしている者にとっては娯楽とともに、貴重な情報源ともなって、映画鑑賞をすることは良いことだと、ひとり納得しながら、毎日のようにレンタルビデオを借りていた時期があった。このようなライフスタイルをお奨めするわけではないが、私が毎日のようにレンタルビデオを借りて見ていたのは訳がある。実は私自身が“インソムニア”なのである。夜の長いこと、長いこと。小さい頃から筋金入りのインソムニアであった。布団に入っても3時間や4時間は絶対に寝られない。布団の中で、ボウーっとしていても、価値的ではないし、なにより、“つらい”。必然的に本を読むようになった。毎夜の読書が日課になっていたものが、年齢とともに、活字を読むのがキツクなって、ビデオに相成ったという次第。今はDVDか。

それはさておき、自分が不眠症なので、不眠症のつらさはよく分かる。世に不眠症で悩む同輩が多いらしく、睡眠改善剤と称される市販薬が予想以上に売れ、製薬会社の視線が熱い分野だそうである。市販薬の睡眠改善剤程度で改善される不眠ならいいが、中には正真正銘の病気のレベルで不眠の人がいる。
ある人は医師が処方する睡眠導入剤を服用しても3時間しか持たず、3時間後には確実に目が覚めてしまうという。そのまま、マンジリともせず朝を向かえるわけだが、これはつらい。そこで、目が覚めたときにもう一度服用することとなる。そうすると、次にはまた3時間ほど眠れることとなり、なんとか5〜6時間の睡眠を確保できる。一晩に2回の服用が必要とのこと。本人はなるだけ眠剤に頼りたくないという気持ちがある。眠剤を服用し続けると、ボケるのではないかと不安なのだそうだが、かといって、眠剤なしでは眠られず、一度でいいから、眠剤なしで“熟睡”したいと強い希望を抱いていて、もし、それができたら、どれほど幸せなことか・・とシミジミと独り言にようにつぶやいていた。

睡眠導入剤、所謂、「睡眠薬」とか「眠剤」とか言われるものが、認知障害(ボケ)を生む原因の一つであると断定する証拠はない。ただ、経験上、物忘れが激しくなるような気はする。それは歳のせいであって、眠剤のせいではないと言われるかも知れぬが、30代半ばで、眠剤初体験のとき、記憶が飛んだ。俗にいう“トリップ”したらしい。何故、分かったかというと、用があって、友人に電話し、ひさしぶり!とお決まりの挨拶をしたら、昨日、電話くれたじゃないか!という怪訝そうな返事。最初、かつがれているのかと思った。しかし、どうも、そうじゃないらしい。本当に電話したようなのだ。全く記憶が欠落している。後で知ったことだが、この眠剤は稀にそのような副作用があるとのこと。それを利用し、トリップするということが一時、流行ったそうである。記憶が飛ぶなんて、気持ち悪いだけではないか、と思うのだが・・。不眠症でもないのに眠剤で遊ぶという感覚が分からぬ。昔は睡眠薬で自殺などと、よく聞いた気がするが、今の眠剤は中毒性も少なく、一回の医師の処方量では死ぬ事は出来ない。つまり、2週間分を一度に飲んでも死ぬことは難しいとのことだ。薬剤そのものの習慣性もまた抑制されていて、タバコのようなニコチン中毒に類したものはない。しかし、記憶が飛ぶという副作用を持つ体質の人間は止めたほうがいいだろう。実に気味の悪い経験だ。これは薬を替えてもらったほうがいい。(極めて稀な副作用だが)

自然療法家として眠剤使用の黙認、ましてや奨励などもっての他と思うだろう。確かに、薬剤は生体にとって異物である。服用しないに越した事はない。しかし、不眠はそれ以上に身体に悪影響を及ぼす。人は夜の休息、つまり、睡眠によって、自然治癒力、ホメオスタシスが発動され、昼間の交感緊張による鞭打ちを癒している。陰陽のバランスをとっているわけだ。もし、それが出来ていないとき、必ず、オーバーヒートする。どこかの時点で身体が破綻するのだ。緊急避難的に眠剤の服用は認めねばならない、と思っているのはそのようなわけがある。これは、不眠症のつらさを分かるからこその考えであって、理屈ではない部分もあるが・・。

ある自然療法家と議論したことがある。眠剤は脳に悪影響を及ぼすのでそういう人が来院したときは必ず、止めるようにアドバイスする、という。では、あなたは不眠で悩んだことがあるのか?と聞くと、布団に入った瞬間に寝ることができると自慢していた。これでは話にならない。さらにこうも言う。ラベンダーのアロマエッセンスを焚きながら寝ると不眠症は改善されると・・開いた口が塞がらなかった。そんな程度のレベルじゃないからこそ、悩んでいるのであって、それで改善できるのなら、とっくに不眠から脱している。そういうことに思い至らないのか・・情けないというか、頭が悪いというか。さらに議論は続く。そもそも、人間は寝ないではいられないものだから、あせって寝ようと思うから、ダメなんだと・・自然に任せて、今日は寝られなくとも、明日があるくらいの気持ちを持てば、不眠などなくなる。不眠症は大変だ!というのは製薬会社の陰謀である・・と。これも重度の不眠の実体を過小評価している。二流雑誌で仕入れた知識の受け売りでしかない。一般論としてはそうかも知れぬが、人間の身体と心はもっと複雑である。いい知れぬ不安や生来のストレス感受性の高さ、加齢によるホルモンのバランスの狂い、既往歴による自律神経の失調・・etcが重なりあっての不眠であって、それらが重症化の原因を形作っているわけである。単一の原因ではない。単に気が高ぶっているだけなら、アロマでも玉ねぎでも効果はあるだろう。考え方をちょっと変えるだけで、寝られることだってある。確かに、人は寝られないではいられないから、いつかは寝る。しかし、重症者は寝ても寝た感じがしないし、疲れが残る。2時間くらいの睡眠が1週間も2週間も一ヶ月も二ヶ月も続くのである。これが身体を傷め、次の病を誘うのである。ミソもくそも一緒にするな!と最後は切れてしまった。早まったことをしてしまったと後悔したが、どうも、民間療法家は心身を単純化する傾向がある。人によって、病態、病勢は違うのだ。それを見極めてアドバイスしなければならない。だから、同じ症状を持つ人であっても、アドバイスが違うことだってある。百八十度違うこともありえる。つまり、正反対のことを言う場合も、ということだ。服用を止めるように言う場合は、重症化していない場合である。これは施術を続ければ、必ず自律神経のバランスが取れ、改善される。

しかし、重度でも改善されることがある。先述したような重症不眠者がここ最近で3人程来ている(軽度は数知れずだが)。重度の不眠と思われたので、特に眠剤についての服用には反対しなかった。ところが、3人が3人とも数ヶ月のうちに眠剤なしで眠ることが出来るようになったという。本能的に薬の使用は止めたいと思っていたのだろう。自主的に服用を減らし、そして止めたようだ。はて、腕が上がったか・・重度だという判断が間違いだったのか・・施術経験からして、自身の体験からして、判断ミスではないような気がするのだが。昔はこのような重度の不眠症を改善することが出来なかったものが、何故、ここに来て、改善するに至るようになったのか、ある意味謎である。確かに、昔とは技法はかなり異なるし、ツボの取り方も深いかもしれない。だが、皆50代の女性であるから、ちょうど更年期から脱っする時期だったのかも知れぬ。天狗になると、ろくなことはないので、そのように解釈しておこう。しかし、そのうちの1人は少女のころから不眠症で、人生の中で、熟睡した覚えがないくらいだというから、あながち、偶然とも思えぬ節がある。若し、偶然ではないとすれば、世の朗報である。そもそも、私が救われるではないか。そのうち、足証整体の達人が出現し、私の身体を癒して、不眠から解放してくる日がやってくるのかと思うと、ワクワクして夜も眠れない(!?)。レンタルビデオ代、一回分の400円は浮くので、一回の施術代、400円で如何だろう?さらにパブ明生館にご招待しよう。勿論、ワリカンだ。

冗談はさておき、「失眠」という奇穴が足裏にある。「失眠」とは文字通り「眠りを失った者に効く」ツボということだから、不眠症の特効穴という意味である。奇穴であるせいなのか、ここに鍼を打たれたという話は聞いたことがない。場所的には面白いところにあって、三陰三陽で言えば、太陽の下限の真ん中。足心原理で言えば、重力力線の基点そのものである。ここから、真っ直ぐに頭頂を貫く力線が発生するので、不眠に効くというのはうなずけるところである。この部位が、妙に内圧が高い者とか、逆に妙に緩んでいる場合は睡眠障害である可能性は高い。不眠か眠り過ぎかどちらかということだ。当然、私なんかはここに異常感があって、押されると恐ろしいほどに気持ちがいい。「きっくぅ〜」という感じがするものである。軽度の不眠などはここの押圧だけで充分だろう。それにしても、鍼でもあまり打たず、お灸も、据えるには非常に不便な部位である。にもかかわらず、ツボ名として残っているということは、やはり、手技が基本であったということが分かる。鍼灸を体系付けたベースになるもの、すなわち、それは手技法であるという増永師の説が鮮やかに蘇り、光彩を放つ。足は面白い。

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★第13話 (毒素排泄) 2005/5/22

病名ではないが面白い症例なので、記して置く。
40代前半、女性、既往症、高血糖。
症状としては首の痛みである。普段から首に問題を抱えており、疲れたり、ストレスが溜まると、首のコリ、酷いときは痛みを伴う不快感に苛まれる。
余程、つらくなってきたら、時々、当院へ訪れる人である。継続的にはあまり来ない。つらいときに来るという不定期リピーターである。
高血糖のほうは自らの摂生、養生でコントロール出来ているようだ。しかし、首から肩にかけての不快感は如何ともし難いとのこと。
幾度か施術しているが、その都度、楽になる。しかし、疲労が重なると同じような症状がぶり返し、度毎に施術を繰り返しているという状況であった。
首の単純なコリであれば、首を揉めば、楽にはなるだろう。しかし、この人の場合、単純ではない。どう単純ではないかというと、まず、頭蓋の動きに問題がある。頭蓋の動きに問題があれば、首の症状となって現われることが多いのだ。さらにそれだけではなく、肩にも問題があって、肩関節の拘束が強いのである。ついでに頚椎まで歪んでいる。実に複合的な要因によって起きている症状だ。幼少の頃の事故が影響しているのと、仕事柄、肩に負担をかけるという環境で、すっきりと完治には至らない症例ではあった。
このような場合、生活環境から変えなくてはいけないが、現実には仕事を辞めるわけにはいかぬし、幼少の頃の強い打撲の痕跡を完全に消し去ることもできない。(それほど、強い打撲であるということだ)

いつも思うことだが、幼少の頃からの歪みが溜まりに溜まって出てくる症状というのは、完治しずらい。完治しないと考えたほうがいいような人たちもいるのである。しかし、施術する意味はあって、進行させないという意義と、少しでも楽になれば、その分、有意義な活動ができて、苦しまないで済む。つまり、定期的なメンテナンスが必要な一群の人達がいるということである。確かに自分の健康は自分で守るというのも真理ではあるが、自分では如何ともし難い症状もある。かといって、医者がどうこう出来る問題でもない。この人の場合、頚椎の手術など、かえって危険である。では、どうするか?我々の出番としかいいようがないではないか。

いつも足からはじめて、ほぼ全身的に施術するのだが、大体はそれでスッキリする。ところが、その日はスッキリしない。異様に頭蓋の動きが悪く、やっていて非常に疲れた。生活上、大きな出来事があったようだが、それが影響しているのかもしれない。
エネルギーの解放が起きないのである。そのようなことは度々経験しているので、後日、抜けていくはずであるから、そのまま帰した。一日に出来る限度というものがあるから、止むを得ないわけだ。
施術中は、例の首に響きまくっていたようだ。足の施術の段階からである。さらに全身の要所、要所のツボで首に響くという。全てが首へと・・
このようなことは結構あって、調経作用が働いている証拠でもある。例えば、右五十肩にも関わらず、左足足心区で右肩に響いてしかたがないと言った人もいる。経絡は損傷伝導系なのである。余談はさて置き、全てが首へ首へと響き、症状を抱えるその付近へ集中してくるのである。それでいて抜けない。なんたることか。響いていて抜けないというのは身体がだるくなってしまう。つまり瞑眩反応が強く起きるのである。何故、今日に限って・・
ことほど左様に、同一人においてさえ、状況によって反応の仕方が違う。ましてや、異人においてをや。

本人も今日は変だなぁ〜と思ったそうである。響きが強いし、抜けた感じがしないし、術後の楽チン感もない。重だるくなった身体を引きずるようにして帰ったという。
思うに、頭蓋であろう。頭蓋の動きがやけに悪いと感じた、のは前述のとおりであるが、結局、最後まで、動きを回復させたという実感がなかった。今日は無理だという諦めがあったのである。つまり、抜けていくところがない状態である。さらに腕はカチンコチンで、通常に戻せなかった。腕からも抜けず、頭部からの発散もない。これでは、身体が重いのもうなづけるではないか。
さて、気になっていたところ、翌日、ご本人から電話があった。あれから、首の響いていたところ、つまり、症状が一番強い、正にその場所にオデキのようなものが出来たという。その日、帰ってから鏡をみてビックリしたというのだ。多少の痛みと痒みがあったようだが、特に耐えられないというわけでもないらしい。なんだろう?と思っているうちに、身体の重さと首のつらさが和らいでいるのが分かったという。そして、翌日のうちにオデキ様なものは消えた。と同時に完全に身体は軽くなり、首の症状は消失した、のだそうだ。ご本人曰く「ホントに身体の毒素が出るんですね」と。いたく感銘を受けていたようだ。「体内浄化プログラム」と呼ぶ、一連の施術方式を説明したばかりのことであったから、余計に感動したのだろう。

たまたま偶然、その場所に、たまたまのタイミングでオデキが出来て、たまたま、その消失と共に症状が消えた、と解釈するなら、偶然の三乗である。そんな偶然は宝くじの一等に当選するよりも確率は低い。そもそも、その人はオデキができる体質ではないのである。
では、そのオデキとはなんであろうか?本人が言うように毒素なのであろうか。毒素だとすれば化学的にはなんだったのだろう?・・と限りなく追求したくなる。分析すれば、それなりの答えが出ようが、特別な何かではあるまい。東洋医学には便利な言葉があって、そういうもの、身体に好ましくないものを全部ひっくるめて、邪気という。“抜ける”という言葉自体も曖昧なものであり、感覚的なものだ。これは邪気が抜けるということを指しているのである。邪気とは生体エネルギー流の停滞の産物でもあり、停滞そのものを指す場合もある。したがって、眼には見えない。絶対に眼には見えないのか?と問われれば、否と答えざるを得ない。見える人には見える。今はその特別な心眼を言っているのではなくて、邪気が物質化することがあるということだ。邪気が邪気であるうちは、見えないが、古来より邪骨という言葉がある。主に腹部にできる、シコリのことを指していうのだが、邪気は邪骨に変化し得るとしているのだ。つまり、見ることも、触ることも出来ぬ邪気がコリ固まり、遂には誰でも触れることができる邪骨となる。これは物質化の象徴である。

気を動かし、邪気を解消しようとして、抜けるところがなければ、皮膚を通して抜けようとする。このとき、その度合いが強ければ、オデキ様なものとして現われても何ら不思議ではない。発疹として現われる場合もあろう。ただ、全部がそういう出方をするのではなくて、スムーズに腕から、頭から抜ける場合もある。そのほうが多いくらいだ。瞑眩とは、邪気の抜けるルートを充分に確保できない場合に起きるのである。だから、そのルートを確保するために時間をかける。それでも、確保しきれず、瞑眩反応が起きてしまう。これはどうやっても起きるパターンである。防ぐ方法は手加減しかない。医者はさじ加減というが、我々は、文字通り手加減である。手加減するには、相当の実力がなくてはならない。
気を動かせない術者が“手加減”して瞑眩を防いだというのは笑止である。気を動かせないだけだ。私自身、この手加減が未だ出来ないでいる。どうしても気を動かしてしまう。名医はさじ加減が絶妙であるが故に名医である。手加減、未だしの私は名医ではあるまい。(根本的に気を動かせない術者はなんと言ったらいいのだろう)

ところで、この人の場合、邪気の抜け道は症状を持つ部位の皮膚であった。邪気が抜けるルートというのは、基本的には竅(きょう)という人体の穴である。目、耳、鼻、口(ノドを含む)、尿道口、肛門。健常者は全部で九つ(目、耳、鼻は各二つづつある)あるから、九竅とも言う。この九竅から、抜けきらぬ場合は四肢や頭部から抜けていく。そして、四肢、頭部で抜け切らず、気の動かし方が強い場合、皮膚から抜ける。邪気が強いと発疹、オデキ様のものとして現われるのである。少ない症例ではあるが、人の身体というのはこのような現象もあるということだ。実に不思議で面白い。

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★第14話 (過敏体質) 2005/6/26

民間療法等に対する批判の一つに、正規の医療を受ける機会を遅らせてしまうというものがある。つまり、施術者が自分のやっている療術方式を過信するあまり、その治療体系の中でしかモノを考えられず、患者の最良の治療選択を奪ってしまうというわけだ。
所謂、カリスマと呼ばれる施術者にその事例が多く、美空ひばりの病気治しのために協力した玄米療法の大家などが有名であろう。(この場合、施術者というよりも食養指導家であるが、同じことだ。彼女の寿命を縮めたと言われて、雲隠れしてしまった)。確かに、人の身体というのは全て医学で説明することはできない。また、対症療法であるが故にその限界もあろう。だからと言って、自分が行っている療法、療術が全ての意味で他の療法を凌駕しているわけでもあるまい。かといって自信なくば、誰がそんな者の施療を受けようと思うだろう。実はここに難しさがある。絶対の自信と謙虚さを持ち合わせなければならないのである。一言でいうと、視野を広く持つということでもあるし、ここまでやってダメなものであれば、素直に他の可能性を認める度量のことでもある。また、ここまでやってダメなものと判断する際にはそう判断できるだけの技量に裏づけされていなければならない。しかし、その両方を兼ね備えている施術者は実に少ない。自身が何度もそのような場面にぶつかり葛藤し、悩み、苦しんだ施術者にして初めてそれを伝えることができると思うのだが、小器用な者が頭で考え、施術センスよりも、むしろビジネスセンスや営業センスで療法のスクールを運営している現状では、伝える中身さえない。実体験として伝えることができる講師は、日本に一体どれくらいいるのだろうか。
全く怪しいものだ。

さて、前置きが長くなってしまった。30代前半の男性。愁訴はギックリ腰からくる坐骨神経痛とのこと。結論からいうと、実に7ヶ月間の休養が必要であるほどに酷いものであった。年齢から考えて、それだけの休養をとれば、大体は治る。若いということは素晴らしいことで復元力は半端ではない。いつも、50代、60代、70代の層の受療者を相手にすることが多いので、痛感するところである。若いということは、本当に素晴らしいことなのである。なんと若いころを粗末にして自分の身体を扱ってきたことか。これはある年齢にならないと如実に実感できないものだろう。

彼の場合、一度だけ施術した。その時はギックリ腰を起こして日が浅く、炎症が強く出ては困るので、抑え目に、整える程度に留めた。気になったのはその過敏な体質である。身体のどこを触っても痛がる。その痛がりようはちょっと普通ではない。刺激に対する感受性は人によって違うのは言うまでもないが、個人差のレベルを超えている感じであった。
人は身体のどこかに炎症を持っているとき、その発痛物質が全身に廻り、刺激に対して過敏な身体状況を作り出す。この場合、重度のギックリ腰からくる炎症で、それが過敏な体質を生んでいるのであろう、と判断した。これが後、悔やむことになるのである。

彼は遠隔地からであったし、また、歩行も困難なため、「近くの保険の利く接骨院に通って無理をしなければ、一ヶ月もすれば、良くなるよ」くらいのアドバイスをした。彼は言うとおりにした。歩いて通える接骨院の常連となり、またそこの先生のアドバイスも忠実に守った。ところが、良くならないのである。正確には、腰の痛みは良くなっているのであるが、坐骨神経痛様な痛みは全く改善されない。一ヶ月程経って、アドバイスを求める電話があった。腰痛治しのカリスマ施術者たちが載っているという本を見つけて、そこに自分も通える接骨院が一つだけ紹介されていたというのである。そこは気功(外気発功)を応用するらしく、カリスマ施術者たちだけあって、相当に実績を上げているとのこと。「こういうのって、どうでしょう?」「なるほど、気功療法か・・まあ、接骨院だから、安いんでしょう?」「普通の整体院よりはずっと安いです」「なら、やってみる価値はあるかもですね」こうして彼は、腰痛治しのカリスマ施術者のもとへ通うことになった。
実にそれから、40数回を超える通院を敢行することになったのである。だが、良くならない。彼は遂に決意した。どうせなら、本物の気功師、本当の達人にかかろうと。
そしていろいろ調べ、結論からいうと、二人の気功師の施療を受けることとなった。
世の中には凄いレベルの治療家がいるものだ、という噂で、その凄いレベルの治療家は、どんな腰痛でも1回、長くても3回で治すという。そして、その師匠スジに当る気功治療家はもっと凄いという。なんだか、その世界はよく分からないが、一抹の不安を感じさせる触れ込みではある。常識的には容易には信じられない話だ。しかし、そういうこともあるかもしれない。不安と期待が入り混り、祈るような気持ちであった。なんでもいいから治ってくれ!可哀相で仕方がない。一度の施術であったが、行きがかり上、アドバイスした責任もある。これでダメだったら、遠いけれども、お越しねがって、私がやるより他ないであろう。

こうして二人の気功家にかかったが、やはりダメであった。どうしても、お尻の痛み、踝の痛みが取れない。坐骨神経痛様の痛みである。
電話で報告を受けながら、私は覚悟を決めた。お越し願おう。
いくつかやりとりしているうちに、思わぬ言葉を聞いた。「前に前立腺炎をやったときとよく似た症状なんです・・」「えっ、えっ、今、なんと言いました?」「前立腺炎・・」「それだよ、それ!前立腺炎だよ!」全て合点がいく。異常に過敏になっていたのも、治らないのも。炎症性の過敏はギックリ腰だけのものではなく、前立腺炎からくるものであってもおかしくはない。お尻の筋肉に内臓反射が起きて痛むことも理屈に合う。そこにトリガーが発生して踝の痛みが関連痛として起きる。根っ子の部分は前立腺からきているのだ。
初検で見破れなかったのは実に悔しい。反射区には「前立腺」というものもあるが、過敏すぎて有痛反応をもとにすることはできない。無痛診断は如実に現われていなかった。
また、腹証は腎虚である。これはギックリ腰、坐骨神経痛の証とも合う。東洋医学的な診断では特定臓器の異常を判別することが出来ないのである。
しかし、超能力はないにしても、よく既往歴を問いただし、現状を考えてみれば、推論することは可能であったはずだ。勿論、整形外科での受診を薦めたが、整形外科では前立腺炎の診断はまず出来ない。腰椎に異常があるかどうか調べるのが関の山である。
なんとも間が悪いというか、これに気づく者が本人も含め、誰もいなかったわけである。
ギックリ腰が引き金になって、前立腺炎がぶり返したのか、慢性的な前立腺炎によって、ギックリ腰が引き起こされたのか、それは分からないが、少なくとも当時は複合的な要因が重なっての症状だったわけだ。
すぐに、泌尿器科の受診を薦めた。多分、前立腺炎の診断が下されるはずだという旨を述べて・・彼はその日のうちに受診したが、果たして、前立腺炎であった。
であるならば、それを治せば、症状は消える。気功とか温熱、光線療法などをやってきていて、尚、治癒してないわけだから、自然治癒は望めまい。こうなったら、一刻も早く、薬剤によってでも炎症を消すより他ないだろう。

現在、彼は腰は言うに及ばず、お尻の痛みはほとんど気にならなくなった。踝の痛みもなくなり、足裏の違和感に移っている。
ところが、不思議なもので、それらの症状が軽減されると、もともとの持病である膝痛が出てきている。今まで、坐骨神経痛様の痛みばかりが目立ち、膝痛など感じなかったものが感じ始めているようなのだ。不自然な体勢での歩行などで、膝や股関節に負担がかかったものであろう。或いは、経絡虚実の移行ということかもしれない。しかし、この程度であれば、大丈夫だ。方向性としては治癒に向かっている。

教訓として得られるものは、限度を超えた刺激に対する過敏さというものは身体のどこかに炎症を持っている可能性があるということ。そして、それは症状として現われている部分に限らず、内臓の反射による可能性もあるということ。であるから、初検カードだけに頼らず、既往歴をよく聞きだすこと。そして、内臓の炎症等が疑われれば、すぐに専門医の受診を薦めるということ、等である。
それにしても、腰の手術まで考えた人である。これで手術したらどうなっていただろう。
7ヶ月間に渡って苦しんだ腰〜坐骨神経痛様の症状が、たった10日の前立腺炎の治療によって消えた。人の身体を正確に把握することは難しいことなのだ。だから、もうこれでいいというゴールはない。足揉みを極めたとか、整体を極めたという施術者をたまに見かけるが、それだけで、その人はインチキだと思っていい。また、現役の施術者であることを止めて教えることのみに専念している講師も信用できない。日々、受療者に向き合い苦悩している者だけが生徒にフィードバックする材料を持ち得る。スクール選びは慎重にすべきである。特に開業希望者は・・

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★第15話 (非歯原性歯痛) 2005/7/3

前話で人の身体を把握するのは難しいという話をした。それに関連する話題を提供したい。
これは他でもない私自身に起きた話である。一部の生徒さんには伝えてあるが、実に興味深い話なので、触れておきたいと思う次第である。

ある休日の昼下がり、突然、歯が痛くなった(左上奥歯)。実は歯は丈夫なほうではない。今までの人生の中で何度か歯痛に苦しめられてきた。上顎洞まで腫れあがったこともある。歯痛は嫌なものである。ご経験のある方も多数おいでだろう。
さて、その時の痛みは半端ではなかった。まるでキリをねじ込まれるような痛みが襲ったのである。どうしようもなく痛い。その前兆みたいなものはなかったわけではないが、これほどの激痛に突然襲われるなんて、考えてもみなかった事態である。大人になってからの記憶ではどんな歯痛でも泣くほどではなかったが、このときばかりは泣いた。大の大人が歯痛で泣くなんて実に情けない話ではないか。その情けなさがさらに悲しい感情を呼び起こし(たのかどうかは分からないが)、休日でもあったし、誰もいないので号泣することにした。誰に遠慮なぞいるものか!という感じである。あまり読者に想像して貰いたくはないが、40も半ばのいいオッサンが歯痛で号泣しているのである。しかも、仕事では一応、先生と言われている人物がである。如何に痛かったかを知って頂きたいために、あえて恥じをさらす次第である。
ところが、不思議なことに号泣した後、痛みが治まったのである。泣くという行為は感情の解放であることは知っていたが、それにしても身体の痛みにまで、影響を与えるとは・・新たな発見であった。身心一如とはよく言ったものだぁ〜と感心してばかりはいられない。しばらく経ってまた痛みの発作みたいなものが起きた。また号泣した。するとまた、痛みが軽減した。こりゃいいぞ!痛みをコントロールできる!などとノンキなことを考えていたが、結構、深刻な問題である。翌日、施術中に発作が起きたら大変である。まさか「ちょっと歯が痛くなったので、泣いてきます」と言って施術を中断するわけにはいかないではないか。歯は治しておくべきものだ。そこで、ネットで休日診療を行っている診療所を探してみると、割と近くでやっていることが分かった。予約の電話を入れて駆け込んだものである。
歯医者が好きな人はいまい。私も大嫌いである。あのドリルみたいな音を聞くだけで、いや想像しただけで、ぞっとする。しかし、そんなことを言っている場合でない。とにかくこの状況を脱しなければ・・その一心であった。

ところが、場所は保健センターの一室であって、必要な設備が整っていないのである。当番医と思われる中年の医師が一通り歯を見て、「多分、この歯が炎症を起こしているのでしょうな。薬を出しておきますから、それで痛みは治まるでしょう。明日、改めて近くの歯医者に行ってください」というのである。拍子抜けしてしまった。夜間、休日診療とはこんなものか・・まあ、歯痛くらいなら、こんなものなのかもしれない。しかし、出された薬を見てガッカリであった。ボルタレン(消炎鎮痛剤の一つ)なのである。この程度の鎮痛剤では治まらないのである。当然、自分でも売薬(市販薬)最強の消炎鎮痛剤であるメフェナムサンカプセルという薬を服用してきている。それでも、一向に効かないわけだから、ボルタレンで痛みが治まるとは思えない。今、医療費削減の方向性が強く、本来医家向けの薬がドラッグストアーで手に入るように規制が緩和されつつある。制酸剤であるガスター10などもそうであるし、消炎鎮痛剤メフェナムサンカプセルもその一つであろう。歯医者の処方する薬で売薬にないものといえば、抗生剤かステロイド系くらいだ。その抗生剤かステロイド系の強いものでないと、この歯痛には無理だと思っていた。全く、生半可な知識というものは結構邪魔だったりする。これではプラシボー効果(心理的な効果)も期待できないではないか。それでも、有効成分は違うものだし、一応、医家専用の薬でもあるから、淡い期待をしてみたものの、やはり、全くといっていいくらい効かなかった。ボルタレンより号泣の方が効く。一体、どんな歯痛なのだ!今風の言葉でいうとマジにヤバイ!という感じである。

とにかくである。最悪でもこの痛い歯一本抜けば治まると信じて、まんじりともせず、一夜を過ごした。そして、近くの歯医者を探した。今はネットという便利なものがあるが、どうも麻布というところは、歯医者一つ選ぶにも敷居が高くて困る。立地もいいし、小ジャレタところばかりである。ということは経費も随分かかっているだろう。ということは保険外診療を薦められたり、余計な診療をされまいかなどと勘ぐってみたり、なかなか決らない。そんなこと言っている場合でもないのに。根っからの貧乏性なのだ。えーいっ!とばかりに一番近いところにした。すぐ裏の歩いて一分のところである。今日こそ、このクソいまいましい歯痛から開放されると思い、おもむろにネットに載っていた電話番号をプッシュした。なんと混んでいて予約が取れないという。そうであれば余計に行きたくなるのが人情というもの。とにかく痛いのだ!と必死に訴え、強引に予約を取ってしまった。自分のお客は逆キャンセルし、駆け込んだわけだ。
ああ、これで解放される!歯医者に駆け込んでこんな安堵感を感じたのは初めてのことであった。ドリルでもペンチでもなんでも持って来て、どんな治療でもいいからさっさと抜いてくれ!という心境である。若い先生であったが、一通り歯を見て、触診する態度が頼もしい。う〜む、選択は間違いではなかったぞ!(触られただけで技量が分かるのである、手技法と同じだ)「では、レントゲンを撮りますね」(あいよ、レントゲンでもCTでもMRIでもなんでも、好きなだけ撮ってくれ!)まな板の鯉である。どれだけ、痛みから解放されたいか、どれだけ癒されたいか、私の心の声を聞かせたいものだ。歯医者は世の中に絶対必要な仕事だな、などと、普段、全然思わないことを思ったりして現金なものである。
さて、レントゲン写真も出来上がり、いよいよ治療の時が来た。はてさて、どんな診断が下るか。ワクワク、ドキドキ・・女子高生ではあるまいし。

しかし、思わぬ言葉が医師から発せられたのである。
医師「武田さん、武田さんの歯の痛みは歯が原因ではないですね」
武田「?・・・・?」
医師「虫歯による炎症も見られませんし、歯周病による炎症もないです」
武田「?・・・・?」
医師「これは何かの関連痛と思われます。なんとも、不思議な話だと思われるでしょうが、歯を抜いたり、治療したりすると、かえって悪化するケースもありまして、私のところでは治療できないですね・・」
武田「?・・・・?」
何を言っているんだ、この歯医者は。全く予期しなかった答えなのである。歯が痛いから歯医者に来ているのに、この歯医者は歯が原因じゃないという。しかも、ここでは治療できないともいう。なんなんだ、この歯医者は・・きつねにつままれたような気がした。それを察したのかどうか、言葉は続く・・
医師「歯のペインクリニックに行かれたほうが宜しいでしょう。ここから一番近いところを調べておきました。ここからだと、水道橋にある東京歯科大学の外来にそういう科があります。そちらに行かれたほうがいいですね」
武田「東京歯科大学・・ペインクリニック・・」
かろうじてオウム返しに答えた。
医師「そうです。勿論、私の判断が間違いだという可能性もあります。ですから、セカンドオピニオンをとるべく他の歯医者に行かれてもいいでしょう。しかし、私は他の歯医者で間違った診断をして治療し、悪化させるということを恐れます。ですから、直接、大学病院に行かれて診察されることをお奨めします。そこの医師は基本的には歯医者ですから、経験も豊富だと思いますから・・」
武田「はあ・・分かりました・・」
なんだか分からないが、関連痛というのは理解できる。トリガーポイント理論は知っているし、実際使ってもいる。しかし、それが歯に及び、ここまでリアルに歯痛として感ぜられるものなのか・・驚きを禁じえなかった。まだ、半信半疑ではあったが、この医師の誠実な態度はどこか信頼に足るようなものを感じさせたので、言うとおりにしてみようと思ったわけである。
帰って、速攻、ネットで調べた。確かにそういう科は存在した。「非歯原性歯痛」という実に興味深い言葉と共に・・字句どおりに解釈すれば、歯が原因ではないのに歯が痛い症状であるということだ。先の医師の説明を漢字六文字で表現せよという問題が出されたら、この言葉が正解になるに違いない。
すぐに予約を入れるべく電話した。専用回線が載っていたのだ。これまた、予約が取りづらい。そんな混んでいるわけ?私のような患者がそんなにいるわけ?と思いながらも必死である。先ほどの歯医者からの説明、つまり診断を告げ、薦められたのだと。もう、痛くて我慢できないと(実際、そうなのだが)・・すると、なんとか翌日予約が入った。

大学病院にまで来てしまった。たかが歯の為に・・ホントにここで治るんだろうか。仕事も出来ず、商売上がったりである。歯も痛いが懐も痛い。いよいよ、名前を呼ばれ、診察である。問診の後、普通の歯医者のように歯を見せて、さらにドクターは視診、触診へと移る。そしてお決まりのレントゲン。レントゲン写真を現像するまでしばらく待つ。これもお決まりのコースだ。写真が出来てもう一度呼ばれた。

「う〜ん、確かに虫歯、歯周病の炎症は見当たりませんね。これで激痛があるというのは・・・多分、これでしょう」と言って、頭蓋と筋肉モデルを持ち出し、指を差したのは側頭部である。「ここの筋肉は噛むのに非常に強い力が加わりますので、疲労しやすいのです。寝ているとき、歯軋りしたり、強い肩コリなんかでも影響を及ぼします。多分、この筋肉が疲れ切って、関連痛として歯の痛みを感じているのだと思います。若し、痛い歯の治療をすれば悪化しますよ」そう言えば、思い当たる節がある。昔、中耳炎(左)をやったときに、側頭部が腫れあがってしまった。非常に痛い思いをしたのだが、中耳炎の治療とともに痛みは消失した。しかし、違和感だけは残り、特に疲れが溜まってくると、違和感が強くなる。現に今も違和感を感じている。自身納得できた。この症状は間違いない、側頭筋にトリガーポイントが発生して、関連痛として起きていると・・それさえわかればノープロブレム、モーマンタイである。自分で治せる自信がある。この病院の治療は、因みに、一過性の麻酔と光線療法、そして、安定剤の一種のような薬の処方であった。しかし、この治療を受けなくとも、治せる。この分野は私の分野でもあるのだ。

側頭部から頭頂にかけて、丹念に自分で押圧し、足りないところバイブレーションマッサージ器の力を借りた。結論から言うと、4日で完全に痛みは消失した。あの痛みがウソのようだった。痛みのパターンを持っているのでもう少しかかるかと思ったが、4日で済んだ。
痛みのパターンを断ち切るのに、一過性の麻酔が功を奏したのかもしれない。しかし、麻酔を打たなくとも治せるのが分かったのである。直感的に治せると・・人は治るなと思ったときは本当に治るものだ。うまく説明できないものだが、顕在意識より賢い、潜在意識が告げているものなのかもしれない。

それにしてもと思う。筋肉が疲弊し、それがトリガーとなり関連痛として歯痛様な症状が出るとは・・しかも、まったく歯痛としかいいようのないリアルな歯痛である。これほどリアルな歯痛を、だれが歯が原因ではないと思うだろうか。自分がこのような目にあったので少し、調べてみた。勿論、歯痛はほとんどが歯に原因がある。つまり歯原性の歯痛である。しかし、決して少なくはない確率で私のような非歯原性歯痛に苦しんでいる人も多いのだそうである。ある人はいくら歯医者に通ってもよくならず、歯医者を転々と変え、悪くもない歯を治療されて、さらに悪化し、何年も苦しんできたと言う。ようやく、専門外来に巡りあい、治せたとのこと。その間、数年、私のような激痛が発作の如く起きて、我慢してきたのだ。考えただけで、気の毒であるし、苦しみは想像してあまりある。
私が行った専門外来はその看板を掲げたその年だけで、2600人の患者が来たというではないか。まだまだ、知らずに苦しんでいる人も多いという。特に最近、過度のストレス、過労、コリにさらされている人が多くなっている。それが原因でこのような症状を呈するわけだから、割合はさらに高まっていると推測されているのである。

しかしよくぞ近所の歯科院は見破ってくれたものだ。(小川歯科医院の院長先生、有難う!あなたはプロの鑑だ!)
歯の治療をされたら、今ごろどうなっていただろう。私は幸運であった。
もっとも単純な歯痛=歯医者の治療という図式が成り立たないケースもあるのである。
人の身体を把握するのは本当に難しい。前話と同じ結論である。

あれから半年以上が過ぎたが、非歯原生歯痛の発作は一度も起きていない。疲れが溜まり、怪しくなると、側頭筋のトリガーが活性しないように自分で処置している。トリガー理論は経絡理論とも似ていて、症状があるとことが必ずしも原因ではないという、東洋的思想の西洋的表現でもある。勿論、トリガー理論は完成されたものではなく、かなり大雑把で拙劣な部分もある(歴史が浅いので仕方がない)。しかし、具体的な筋肉名が出て来るので、分かりやすいし、筋肉解剖の勉強にもなる。月一回トリガー勉強会を開いているのは、私の非歯原性歯痛が一つの契機となっているである。思わぬ副産物であった。

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★第16話 (高脂血症) 2005/12/5

ご承知のとおり、血液中の過剰なコレステロールや中性脂肪は動脈硬化の原因となる。さらに動脈硬化は血管系の病気、例えば、心筋梗塞、脳卒中のリスクを高める。成人における三大疾病のうち、実に二つまでもが高脂血症を遠因とするわけだ。場合によっては直接的な原因ともなり得る。このコレステロール値を正常レベルまで下げるというのが、疾病のリスクを減らす方法論として、重視されてきた。薬剤でコレステロール値をコントロールするという発想は現代医学では当然のことであるし、また、油物を控えるという食事制限、節制もまた、重要なことであると思う。
しかし、薬剤でコレステロールを溶かす治療は、思わぬ副作用を生むこともある。腹痛程度であれば、まだいいが、身体のあらゆるパーツはコレステロールを基本材料としているため、体質によっては筋肉が溶け、神経が侵され、取り返しのつかない状態に陥った例もある。食事制限もまた、基本的に自覚症状がないだけに難しいものだ。仮に出来たとしても、今度は必要なビタミン、ミネラルが不足し、所謂、ダイエット症候群になる可能性もある。仮に薬剤による副作用もなく、節制も上手く出来たとしよう。実はそれでも、コレステロール値が下がらないという一群の人達がいるのである。身体自体が過剰なコレステロールを生産する体質なのだろう。まだ人類が飢えていた時代に獲得した体質とも言えるかもしれない。私が昔人体質と呼んでいるもので(家族性高コレステロール症)、案外多いものだ。一口に高脂血症と言っても、中性脂肪が多いのか、総コレステロール値が高いのかによって、処方される薬剤は異なるが、その選択を間違うということは考えづらい。医者もプロだからだ。考えられる最良の処方をしたとしても、目に見えた改善がないという例も多いのだ。

治癒機序については詳しく分からないが、そのような例の人に対して、足揉みが功を奏するケースが結構ある。ある60代の女性。当然、医師から薬の処方を受けていた。かなり長期に渡る治療であった。食事も医師の忠告を良く聞き、自分なりに気を付けていたとのことだ。しかし、全く数値に変化が現われなかった。総コレステロール値は大体300前後ということである。正常値は150〜せいぜい220位であるから、かなり高い数値が常態であったといえる。あまりにも効かないので、薬を止めたとのことであった(勿論、医師の同意がある)。
さて、この方、都合10回ほどの施術を行った。高コレステロール症を改善することが目的ではなかったが、劇的に改善されたのである。190台にまで下がった。どのような治療を行っても、下がらなかったものが正常値の範囲に治まったのである。
実はこのような劇的なケースは初めてではない。前にも500という信じられない数値の男性がいて、施術の継続の中で(8回)、200近くまで下がった例もあった。この時は、その男性自身の食生活にかなり問題があって、それを改めたということだったので、それが功を奏して、改善されたと思っていた。であるから、施術自体の貢献については過大評価できなかったわけだ。しかし、今回のケースは、特に生活を変化させたわけでもないし、ましてや、薬も止めている状態での話である。これは施術が功を奏したと考えるのが自然であろう。高脂血症を何とかしてくれ、といって施術院に飛び込んでくる者はいない。時々、このような数値の変化を伝えてくれる人達は別の身体の悩みで来た人達である。であるから、私も、ご本人も知らない状況の中で、改善されているというケースは相当にあるはずだ。それにしても何故?という疑問が湧く。血流が改善されて・・云々であれば、お風呂に入っても、温泉でも改善されるだろう。毎日、風呂にゆっくり入る者は高脂血症とは無縁で入られるはずだ。しかし、そうでもないことは経験で分かる。そもそも家族性高コレステロール症は体質の問題である。体質というのはそう簡単に変るものではない。コレステロールを生産しやすい体質は大げさな言い方であるが、遺伝子レベルの操作が必要だとも言える。施術によって、体内環境を整える、或いは良好にする何か、例えば、スイッチのようなものをオンにしたのではないかと思えてならない。

ツボ押圧を嫌う療術家もいる。ツボを押したところで、一時的に筋肉が緩み、一時的な改善感、つまり、コリ感の軽減程度しか期待できないという論法である。私は少々、見解が違う。東洋においてツボの概念が発達したのは、「気」の流れを変え得る窓口、つまりスイッチの役目をそこに見たからだと思っている。ツボが経穴という名で、ある程度特定されているのは鍼灸の刺激の強さ故に、やたらメクラ打ちすると、害があるからであろう。しかし、手技においてはむしろフレックスにツボを取ることに重点を置けば、よりその者固有のスイッチを探せるものと思う。その人の最善のスイッチを探す作業としての施術だと思えば、施術自体の考え方も変るだろう。このスイッチの話は長くなってしまうので、また項を改めて(施術雑感にでも)論じたい。いずれにしても、期せずして体質を変えるスイッチをオンにしたに違いない。そのスイッチがどこにあったのか?多分、単独であったのではなくて、複数のものであったような気がする。ちょうど暗証番号みたいなもので、一つ欠けてもロックが解除されない類のものだ。今の手技法が慰安の為の賤業だと言われているのは、暗証番号を忘れ、ロックされたままの身体の操作しようとしているからである。また、人々も手技に過大な期待をするわけでもなく、手っ取り早く、15分程でコリが軽減されれば良しとする風潮でもある。こうした風潮に甘んじて、小手先の技術ばかりが先行し、手技が持つ本来の実力を知らずいる者達が癒しブームに乗っかり多数派になってきた。足揉み(リフレ)にしてもしかりである。足にはロックを解除する重要なツボがたくさんある。しかも名もなきツボがである。せっかく、スイッチに触っているのに、スイッチを入れきらず、素通りしてしまう。間抜けな話だ。これは私についても言っているのであって、他人事ではない。少なくとも数年前までは全く間抜けな奴であった。

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★第17話 (寝違い) 2005/12/25

寝違いはつらいものである。私も昔はよく寝違いを起こしていた。首を固定して活動するのは、コルセットでもつけない限り不可能であるから、なんだかんだといって、治癒が長引いてしまう。その間、実に憂鬱な気分である。あまりツライので、鍼灸院に行ったり、指圧に行ったり、瀉血療法をしてもらったりと、色々なことをしてみた経験がある。結論から言って、いずれも却って酷くなってしまった。瞑眩反応で一時的に痛みが増すというのではなくて、悪化してしまうこと度々なのである。考えてみれば、それも当たり前の話ではある。寝違いというのは、基本的に筋の断裂である。小規模な肉離れといってもいいだろう。微細な筋の断裂があれば、当然、微量の出血を伴い、炎症を起こしている状態だ。その部分に圧をかけたり、鍼を打ったりすれば、炎症が強まる。却って、傷口を広げることになるわけだ。そのような経験もあって、寝違いの人には、直接患部には触らないという方針になっている。今なら、常識的にそのことはわかるが、昔、自分が患者だったとき、とにかく、なんとか楽にしてほしいという気持ちで、痛いのを我慢して施術を受けていた。
してみると、たまたま私が行ったところの施術者は、腕があまりよくなかったということであろう。腕が良くないというか、基本的なことを知らなかったのかもしれない。(私自身もであるが。そのときは素人であるから、仕方ない)

さて、寝違い様の症状を訴えてきた女性がいた。普通、後ろ首に来るものであるが、その方は前頸部の痛みを訴えている。胸鎖乳突筋か、斜角筋の断裂であろう。珍しい寝違いだ。
触ってみると、酷く熱い。間違いなく、断裂による炎症を起こしていることが分かった。
さて、どうしたものか、治療方針を立てねばならない。足は当然やる。患部にもっとも遠い部位で影響を与えることができるからだ。ただ、それだけだと改善は遅い。いつも成功している手であるが、肩甲骨の際に圧痛があるはずなので、その部分もやらねばならない。これは結構、功を奏する。特に長い期間症状があって、固着した状態の寝違いにはよく効くところだ。しかし、この方、症状が出てから、それほど期間が経っていない。と同時に、寝違いの部位が前頸部ということもある。足と肩甲骨だけではまだ不充分だろう。ふ〜む、どうしたものか。とにかく、早く治してあげたい。治りきらずに寝違いクセがついてしまうのは、なんとしても避けねばならない。私が若いころ、苦労したので、そんな思いはさせたくないわけだ。そこで、思い出した。クラニアル・マニピュレーションは局所的炎症に効くということを。局所的炎症?今まで実感が湧かないものであったが、目の前のクライアントはまさに局所的炎症ではないか。では頭蓋療法も行おう!

頭蓋縫合部で2箇所ほど拘束があった。それをリリースして、施術のフィニュッシュ!私的には結構上手く行ったほうである。術後、予想されることは血流、リンパ流は当然改善されているので、痛みが一時的に強まるということである。しかし、患部には直接触っていないので、我慢できない痛みとか、悪化というケースはない。純然たる瞑眩反応である。
その旨、伝え、72時間以内に良くなるから心配しないようにとも言った。

果たして・・・? 結論からいうと、当日の晩にかけては、腫れ、痛みが強かったようである。しかし、翌日の朝にはそれもおさまり、その日の晩にはキレイサッパリと痛みがなくなっていた。完全な痛みの消失である。あれだけ、炎症が強かったのであるが、修復力というか復元力が人よりあったのであろう。断裂は修復されたのだ。72時間と言ったが、24時間で完治である。なるほど、局所的炎症に効くというのは本当であった。

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★第18話 (五十肩) 2006/3/24

五十肩というのは不思議な症状である。ある日突然、肩に痛みが走り、挙手が全くできなくなってしまう。原因は肩関節周囲の炎症の場合もあるし、関節自身の中に含まれている潤滑剤(ヒアルロン酸)の不足でもあるという。いずれにせよ、正確な原因はまだ良く分かっていないようだ。原因の分からないものは対症療法するより他なく、長い人で、2年くらい苦しめられる。しかし、始まった時と同じように、いつの間にかキレイサッパリと治ってしまうわけだ。不思議な症状であると言った所以である。私自身も30代でこの症状に苦しめられたので、つらさはよく分かるつもりである(こうして百話を書いてみると自分も随分色んな症状を経験してきたなぁと思う)。30代で起きると、三十肩とでもいうのだろうか・・四十肩とは聞くけれど・・老化の通過儀式という人もいるので、人より老化が早かったのか・・複雑な心境ではある。
余談はともかくとして、この五十肩を即効的に治す方法はない。一発で治したという施術者もいるが、それは五十肩ではなくて、単なる肩の痛みである。若しくは治りかけのものであるか、或いは、ごく初期のものであるか・・いずれにせよ、継続され、進行中の五十肩を一回の施術で完治させることはできないのである。できないが、痛みを軽減させ、早く治すことはできる。
経験からいうと、五十肩には、西洋的な運動的手技より、東洋医学の経絡的なアプローチの方がよく効く。絶対やってはいけないのは、施術者が無理に肩を挙上させるやり方である。一時的に肩が上がるようになるが、後に症状を増悪させ、回復を遅らせる。結構、その手の施術をやる施術家がいるが、今一度、クライアントの経過を確かめながらされたほうが良い。(昔、流行った施術方法である。その場の効果に目を奪われて後の経過を考えない典型の施術)。
五十肩は肩に目を奪われてはならない。必ず、首や胸や上肢に強いシコリがあるものだ。シコリというと、物理的な固まりみたいなものをイメージされるかも知れぬが、そういうものばかりではなくて、つっぱった状態も含めて考えて頂きたい。肩を動かさず、首、胸、上肢を入念に補瀉すれば、かなり回復が早まる。上肢では心経、心包経、下肢では胆経、胃経、腎経が功を奏する。下肢では肩を押さえながらというのは無理かと思うが、上肢は肩を軽く押さえて操作すれば尚良い。また、五十肩の大半の方は、悪いほうの肩が前方へズレている(まれに後方へのズレもある)。このズレを矯正するかどうかの判断は微妙である。まだ、その時期ではない時もあるし、ズレを矯正することによって頓挫的に軽減される場合もある。これは何度か通って貰って判断するしかないだろう。個人的にはリスクは避けたいので、様子を伺いながら決める(決して挙上するわけではないので最小限のリスクだとは思うが)。

さらに五十肩で重要な考え方は、長い間、肩を中心とした上肢の拘束があるので、それを庇うように身体の各所に歪みを生じてしまうということである。五十肩そのものの痛みで苦しんでいるうちは、他の部位に気が回らず、肩以外は正常だと思うだろう。しかし、違うのである。微妙な歪みを生じさせ、症状が治まったあと、その歪みが全面に出て来る。そして、他の症状を誘発するのである。当人はまさか五十肩が原因などとは思わず、また対症療法的な治療法を選ぶことになる。こうして、歪みが蓄積され、限界を超えて大病に至るわけだ。実は五十肩の治療に限らず、局所的な症状でも、常にこのことを頭に入れて施術を行わなければならない。全身的な歪みを元に戻しつつ、対応していくべきものなのである。

60歳の女性。一年ほど五十肩で苦しんでいた。あまり苦しいのでヒアルロン酸注射を何度か打ってもらい、来院時は最悪の状態からは脱け出していた。しかし、まだ腕は完全には挙がりきらず、寝ていて上肢が痛み、目が覚めることがあるという。都合8回ほどの施術。4回目くらいから、相当に良くなっている実感があったという。最初は2週に一度、最後の4回は一ヶ月に一度の頻度で施術を行った。結論からいうとほぼ完治した。病勢が弱まり、治る段階にあったというのが、良かったのかもしれない。最終的には万歳が出来るくらいになったのであるが、年齢的にも歪みが蓄積される状況であったし、肩を拘束されて一年ということでもあるから、他の歪みが結構あって、苦労した記憶がある。しかし、全身的に調整できたので、満足できる結果であった。

現在、50代の女性が五十肩で来院している。病勢がかなり強い状態である。この文章を書いている時点では2回目の施術が終わっているが、症状の大きな好転は未だない。この方、左の症状を訴えているが、実はその前に右肩をやっている。右が治ったと思ったら、左にきたという珍しいケースである。この場合、前述のように、悪い方の肩が前方へズレているのではなく、古傷の右肩が前方へズレている。であるから、現在悪い左肩が後方へズレているように見える。右肩が完全に治りきっていないのである。聞くところによると、右肩五十肩のとき、治りかけに、上肢の挙上訓練をしたという(ジムのトレーナーの薦めによって)。正直、この訓練は時期が早すぎたように思う。完全に治らないと挙上は禁忌であることは既に述べた。歪みの二重構造を持っていて、結構、難敵である。後日経過を報告しよう(忘れなかったらネ)。

随分前の話。あるデパートで足揉みの宣伝を兼ねて、リフレのショートコース施術に駆り出されたことがある。年齢は50代だと思うが、中年のご婦人が来て、両足で20分位の施術をして差し上げた。そのときは特になんの感想も言っていなかったが、翌日また来て、実は肩が痛くて挙がらない状態だったものが、痛みが消え、挙がるようになったと報告してくれた。片足10分位であるから、足心を中心とした安定持続圧を深く、深く入れた記憶がある。肩の反射区など触りもしなった。足心区以外、施術出来る時間が与えられていなかったので、しょうがなかったわけだ。わざわざ報告に来てくれて恐縮したが、それにしても、一回の施術でこうまで、功を奏するとは・・当時は驚いたものである。前述のように本格的な五十肩ではなく、単にコリが極限に達し、肩に痛みが出たものかもしれないし、五十肩であったとしても、本当の初期だったと思う。いずれにせよ、足裏もまた、肩に対する影響力が強い部位であることが再認識された事例なので、印象に残っている。

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★第19話 (メニエール) 2006/9/14

めまい、耳鳴り、そして周期的な発作性。典型的なメニエールの症状を抱えた30歳の女性。
西洋医学でも中々決め手になる治療法はなく、一種の宿痾(しゅくあ)となる可能性が高い病である。命に別状はないが、発作が起きると、立つことも適わず、日常生活に重大な支障を来してしまう。業病といえば業病だろう。普通は中年以降に起きやすいのだが、この方のように、30歳そこそこでも起き得る。内耳器官に関係することは間違いないが、はっきりと原因が分かっていないものである。分かっていないからこそ、決め手になる治療法がないわけだ。自律神経異常でもあるため、西洋医学では分野がまたがってしまうのも、根治できない理由の一つかと思われる。

さて、整体的にはほとんどの場合、頚筋、若しくは頚椎に異常が認められる。この方の場合もまた、首に異常なシコリをみた。
首に何故、そのような異常が出るのかは、人それぞれであろう。ある人はムチ打ちの経験者かも知れないし、ある人は内臓の機能が低下していて、それを支配するところの経絡が、生活習慣や常習性の寝違いなどで歪み、内臓との関連で固定される場合もあるだろう。根本の原因は人それぞれで特定することができないが、現象としての原因は、首に異常が出るということだ。この方の場合、特にムチ打ちなどの既往歴はなかった。「証」は三焦に出ていたが、これは横頸部の硬さを裏付けるものである。また、肩井ラインがほとんどの場合、硬いので、その表れかとも思う。
驚いたことに(だから、百話で取り上げるのだが)、この方、足首の骨折を経験していた。足の異常が首にまで及ぶことは、我々の世界では当たり前のことであるが、そこから、メニエールに移行してしまうパターンは初めてのケースである。しかし、施術方針は明確になったのでかえって良かったのかもしれない。

方針としては、まず、骨折痕の滞りを丹念に揉み解し、腹証では三焦への重点、そして頸部のシコリの解消(それほど簡単には取れないが)、というものである。勿論、上肢、下肢を初め、全身的な基本手技は必要である。

初回でかなりの改善があったようである(本人の実感として)。しかし、発作は周期的なものであるため、油断はできない。案の定、ある種の生活リズムの乱れから、発作が起きた。しかし、小発作とも言うべきもので、本人の自覚としては、施術のお蔭で小さな発作で済んだという感覚であった。このように考えてくれると非常に有り難い。治癒に近づけるからである。施術を継続して、一年近く、22回の施術でほぼ完治という状態になった。まだ若く、病歴もそれほど長くなかったというのも効果が出た要因の一つであろう。

今、振りかえって考えてみると、クラニアルを使えば、もう少し早く改善できたのではなかろうかという感想である。当時はクラニアル的技法は知らなかったわけで、頭蓋の動きを知る術もまた知らなかった。恐らく、リズミック・インパルスは正常ではなかったであろうと推測できる。まあ、済んだことは仕方がない。結果オーライである。

メニエール氏病には直接関係ないが、フルフォード博士の言葉を引用したい。
ちょっと長いが翻訳原文のまま引用しよう。

“何ヶ月か前、45歳の男が差し迫った声で助けをもとめる電話をかけてきた。その数か月前から心臓発作のいろいろな症状に苦しんでいるが、何人かの医師に診てもらってもいっこうに楽にならないという。困ったことに、医師による検査や心電図ではその男の心臓になんの異常も発見できないというのである。ほとんどの医師は生化学的な検査や機械に頼りきっている。だから、検査の結果が正常値を示すと、医師はわけがわからなくなってしまうのだ。
男が心臓以外のところも診てもらうべきかどうかをたずねると、その必要はないといわれた。心臓に異常が発見されれば心臓は治さなければならないが、きみの心臓は異常とはいえないというわけだ。
私の患者にはそういう人が多いのだが、どの医師からも満足な答えが得られないとわかった時点で、その男もわたしのところにきた。
しらべてみると、男はずっと昔に左ふとももの骨を折っていたことがわかった。手術のあと、りっぱに繊維組織が再生していたが、そのことによってある筋肉が支障をきたし、それが首の筋肉に影響をおよぼした。首の筋肉が縮まったか、あるいはふにゃふにゃになったかして、首の筋肉をまともに支えることができなくなった。ともあれ、男のからだはバランスを失い、頭蓋骨の底に近い部分の背骨が歪んでいって、そこから心臓につながる神経を圧迫しはじめた。それで心臓がうまくはたらかなくなった。心臓の病気というより、ずっと昔の脚の事故が原因だったのだ”
(翔泳社刊・いのちの輝き―プロローグより)

これぞ手技法的身体の見方である。そのエッセンスが凝縮されている名文なので、あえてご紹介させて頂いた。勿論、西洋医学的な所見で説明できて、かつ西洋医学的処置を必要とする例も多いはずである。しかし、それだけでは苦しみから救われない人もまた多い。手技をまともに治療として考えない日本の医療事情もあって、慰安的な手技に終始したり、あまりにもスピリチュアルな部分に偏向したりしているが、ココロの問題は即、身体の問題でもあり、どんな症状(それが精神的なものであっても)でも物理的な肉体的な異常(原因)が必ずある。それを見つけ、原因を除去する。それに尽きるわけだ。そういう姿勢をもてば手技というのは極めて広範囲に、かつ威力のある治療法となるはずである。
私がメニエールのうら若き女性を救い得たのも、そうした姿勢があったからに他ならない。偶然よくなったのと、そう考えて、よくしていったのとでは全然違う。
技法は手段であって、目的ではない。であるから、技法的なもので慰安との区別はできない。区別するのは原因を分かろうとする姿勢があるかないか、その一点である。

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