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オステオパシー




オステオパシー
オステオパシーという手技法の大きな特徴は、頭蓋骨が動くとした点である。
人間は固定され、静的な状態でいるものではない。刻々と流動変化し、動的ダイナミズムの渦中にあるというのが生命体の実相であろう。同じところに留まっているという考え方は現代医学の知識(心拍、血流、リンパ流、呼吸リズム)を借りなくとも間違いであることは論をまたない。さて、オステオパシーにおいては、本来、不動関節と呼ばれる―(不動というくらいであるから動かない関節というわけだ)―頭蓋を構成するそれぞれの骨とそれが組み合っている関節部において動きがあるとした。これは長い間(約50年)、一部のマニアックな変人達の妄想として、仮説としてすら顧みられなかったものである。しかし、近年、長足なテクノロジーの進歩により、測定技術が発達し、遂にこの動きは捉えられた。
測定者によって差はあるものの(最大幅で250ミクロン)、確かに頭蓋不動関節は動きを持っていたのである。しかも、この動きは90歳前後まで保持していると言われている。
現在、頭蓋骨が動くという説に対して懐疑的な科学者は皆無といっていいだろう。なぜなら、何度も実験され、再現性をもつものであると証明されているからだ。

頭蓋骨を動かす原動力(エネルギー)は何であろうか?
実は諸説があって、未だ結論をみていない。頭蓋を動かすエネルギーについてどのような立場をとるかによって手法が違ってくる。であるからD.O(オステオパシー医)によってそれぞれ異なるアプローチが生まれてくることになる。私は、最初に頭蓋が動くとの立場をとったサザーランド博士、そしてそのことを実践し、臨床的に多大な成果を挙げたフルフォード博士の説を支持する。その説とは左脳と右脳の膨張、収縮によって頭蓋が動くとしたものである。即ち、頭蓋骨という表面的な動きは実はその内部の最重要器官である脳そのものの動きであるとしたわけだ。
ところで何故、脳がある種リズミックな動き(膨張、収縮)を行っているのか?この問いに答えられる者はいないであろう。何故、心臓が動くのか?何故、人は存在するのか?という類の問いに等しい。
あえて答えようとすれば、東洋的概念、即ち「気」という生命エネルギーの発露として“動く”のだとしか言いようがない。答えになってないかも知れぬが、「生命力」そのものの発現として脳がリズミックな微細運動を行うのである。脳波の発生する理由を本質的に説明できないのと同じである。

というわけで、オステオパシーにおいては頭蓋が動くという前提において体系化される。
その動きはある種のリズムを伴い、そのリズムは呼吸に似ていることから、より本質的な呼吸として「一次呼吸」と名付けた。そして、我々が認識している本来の呼吸を「二次呼吸」とした。この呼び方には理由があって、「一次呼吸」(頭蓋の動き、若しくは脳の膨張、収縮)が何らかの原因で阻害されると、本来の呼吸が阻害される。完全に阻害されれば、それは窒息死を招くものであるから、そこまではいかない。そこまではいかなくとも、呼吸が深いものにならず、常に浅い呼吸になってしまうのである。これは気功法、ヨガなどでいくら深い呼吸法を身につけようと、頭蓋の呼吸が回復しない限り、すぐに元に戻ってしまうのである。従って、本来の呼吸をリードする、若しくは本来の呼吸に大きな影響を与えるという意味において一次呼吸という名付けられたわけだ。

別の一次呼吸
オステオパシーにおいて一次呼吸を想定しているのは頭蓋だけではない。仙尾骨においてもリズミックな動きを行っていると考えられている。しかし、頭蓋の動きと連動しているかどうかについては意見が二分されている。ある研究者は、これは全く別の、独立した動きであると主張する。またある研究者は明らかな相関関係がある、と主張している。

頭蓋測定器によって被験者の頭蓋の動きを検知出来得る状態にしておいて、熟練したD.O(オステオパシー医)が同じ被験者の仙尾骨を触って、仙尾骨が動いたと思った瞬間にD.Oに合図して貰う。この時、90%以上の確率で、頭蓋測定器は頭蓋の動きを検知している。
(勿論、D.Oには頭蓋の動きを知らせない目隠しテストである)
このことは、やはり、頭蓋と仙尾骨がある種の連動性をもっていることを匂わせているものと言えよう。どちらの説を取るにしても、仙尾骨もまたリズミックな動きを持ち、その阻害が身体に大きな影響を与えてしまうということには変りがない。仙尾骨もまた自律的な動き、即ち一次呼吸を行っているのである。

さらに別の一次呼吸
「真人は踵をもって呼吸す」とは荘子の言葉である。このHP上でも何度か触れているので詳述しないが、東洋においては、足部においてこそ、呼吸し、それが出来ている者こそ「真人」であるとしているのである。足心呼吸について最初に言及したのは白隠(江戸時代)であったし、仏足跡においても、足心は太陽のように描かれている。オステオパシーにおいての言及はないが、足もまた一次呼吸していると断言できる。足部操作(リフレクソロジー)から手技法に入った私としては、足部の呼吸の方が実感しやすい。足部がパンと張り、まるでモノのような感触を第一印象で持つ場合は、一次呼吸が妨げられている。また、力なくなよなよとした状態でも証は違うが、やはり一次呼吸が充分ではない。さらに、参考となるところは脈である。古典は足部に3箇所の脈を見出している。即ち足甲でとれる肝脈と胃脈、内踝でとれる腎脈である。このうち肝脈は個人差があって取りづらいが、あとの2脈は熟練しなくともとれる。東洋医学の古典にそってそれらの脈を勘案するには、中々難しい手続きを踏まねばならないが、少なくとも、脈が弱いか強いか、触れるか触れないかくらいは誰でもできる。この誰でもできる平凡な現象を見ることによって、一次呼吸が為されているかどうか、或いは施術自体の効果があったかどうかという極めて高度な判断ができるのである。足部操作の真骨頂であろう。

リフレクソロジーは、足部について反射区というものを想定し、その部分を刺激する。所謂、反射反応を期待する療法である。反射区というものが正しくそこにあるかどうかは別として、刺激療法の一つであると言えよう。健側への強圧が患部へ影響を及ぼし、症状を改善させることは広く知られた事実であるが、さほど強くない刺激でも奏効することがある。これをどう考えるか。反射刺激反応であれば、強圧であればあるほどに反応は強いはずで、弱刺激による改善は今ひとつ納得できない。しかし、一次呼吸の回復の結果と考えれば得心できるのである。なんとなれば一次呼吸を回復させるのに必ずしも強圧は必要ないからである。このことはオステオパシー手技の特徴の一つである。どのD.Oも頭部へ刺激を送る場合、極めてソフトな手技を行う。またこれによってしか一次呼吸の回復は図れないのである。もし、足部の一次呼吸が阻害されているなら、弱刺激によって回復し、改善する。もし、足部の一次呼吸が問題ないとなれば、足部は健部となり強圧が必要となろう。
結論からいえば、足部の呼吸阻害があるかどうかが重要である。足部を健部とみて、なお刺激反応を得たいと思えば、強圧しなければならないし、呼吸阻害があればソフトな施術によって回復するのである。刺激は強いがいいか、弱いがいいかという議論は、これにより一般論として成り立たない。
極論としては、足部が健部であるとして、足部の施術を省略することもできる。それが全体的にみた結果であるならば受け入れても良いだろう。

さらに具体的に
一次呼吸が行われる3ヶ所、即ち頭蓋、仙尾骨、足部。これらの一次呼吸が阻害されているのであれば、それを回復させる。より本質な治療となるからだ。しかし、それだけでは充分ではない。なぜなら、それ以外にも流れを阻害し、或いは具体的な愁訴を顕現させている滞りが各所にある場合が多いからである。これを「組織拘束」されている部分と呼ぶ。または「エネルギーブロック」とも言う。簡単に言えばコリのことだ。
普通、D.Oはこれらの部位を直感的に見極める。的確にエネルギーブロックがある部分を見極めることができるようになるまでは、相当な熟練が必要となろう。例えば、首の痛みが肩関節のブロックから来ている(非常に多い例ではあるが)くらいなら、近い部分であるだけに分かりやすい。しかし、ソケイ部から来ていることもあるし、右足(左足でもいいが)の脛の骨折跡から来る場合さえもある。そう簡単に問屋は卸さないというわけだ。
しかし、熟練するといってもそれを実践する場所もないし、日本ではD.Oの存在も認められていない。つまり、医療の現場でオステオパシーを行う機会がないという環境にある。
民間療法家として開業し、全くの素人から修練を積んでいくことは不可能と言わないまでも、大変困難な道であることは誰でも分かる。

しかし、東洋的なツボ的発想で、組織拘束を除去することを取り入れることができるなら、かなり修得が楽になる。拘束がおきやすい部位、または拘束を除去する部位はありがたくも全身に20箇所ほどしかない。これは響きの起きやすいツボと見事に一致する。
響きが起きるツボとは、そのツボだけに働きかけるものではない。押したその部位を基点として放射状に広がり、拘束部位に及ぶのである。これにより、人によって異なる組織拘束が寛解し、流れが良くなる。かくして、誰でもエネルギーブロックを解除し、改善に導きことができるのである。繰り返し繰り返し行うことにより、段々と勘も冴えてきて、ピンポイント施術ができるようになる。日本においては、このやり方がオステオパシー修得に最も適し、かつ最良の方法ではないかと思う。

補足
頭蓋の動き、即ち微妙なインパルスを感知するのは、さほど難しいものではない。単なる触覚ではなく、施術者自身の感情的変化を客観的に捉えることにより可能である。
動かない頭蓋は操作していても気分が良くない。動き始めれば、ある種の爽快感を感じる。(施術者のですぞ、念のため)
極めて微細な運動は触覚的な感覚では捉えきれない。むしろ大脳辺縁系が司る原始感覚、つまり感情的なもの、例えば、気分の変化のような漠然とした感覚を頼りにした方が的確に捉えられる。これはちょっとした訓練さえ行えばできるのである。
若し、動きが停滞していたなら、軽くソフトに頭蓋骨縫合部を撫でていくか、手をあてがい、「気」を直接、脳へ送るイメージで、押圧とともに自身のエネルギーを送り込む。
これを5〜6分続けて、施術者自身がさわやかな気分に浸れるとき、頭蓋の動きは回復したと言える。中には閉じ方がきつくて反応を感じられない場合もある。その場合はツボ押圧に切り替えて、やや強めに押圧する。それでも回復できない場合は一回の施術では無理であるから、何度か来てもらうわけだ。経験上、高齢者や若くとも極端に目が悪い人は中々回復しない。また、難病患者も閉じ方がきついのである。経験上、首のコリを先に取っておくと回復しやすい。


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