

| まえがき 本小説はブログに連載したものである。大幅な加筆訂正はないが、結びを若干変えた。ブログというのは好きなときに好きな分量を更新できるので非常に便利な媒体であるとは思う。 しかし、他の記事をドンドン更新していくうちに、前に書いた記事が埋もれアーカイブ化してしまうのが難点だ。前から、勿体ないのでまとまった文章についてはHP上に反映させてはどうか?という指摘があった。本来、私は前に書いた自分の文章を見るのを好まないタイプなのだが、それも一理あると思い、もう一度見直し、それなりに書けていることを確認できたので今回、HP上に反映させることにした。 世界初の施術モノ小説という触れ込みで勢い込んで書いたものの、小説というのは難しい。書いてみて初めて分かったのである。全く無謀なことをしたものだと思うのだが、小論やドキュメントでは書ききれないことも表現できるので、それなりに満足している。 今回の第一回目の小編によって主人公や脇役の紹介がなされているわけだから、そのままにしておくのは勿体ないといえば勿体ない。いつになるのかは全く保証できないが、いずれ必ず続編を書くつもりである。そのプロローグとしての本編である。初めての読者には施術家とはそう考えるものか!と思って頂ければ幸いであるし、すでにブログ時代から読んでいる読者には一気に読む機会を得たと喜んで頂けるのなら幸甚中の幸甚である。。 周期性四肢運動障害編 菊田洋子は、ある大手銀行のOLであった。同僚と結婚し、若いうちに退職した。現在、54歳である。結婚以来、主婦業に専念していたが、子育てがひと段落ついたのと、息子の大学の費用の足しになればとの思いで、信用金庫の事務のアルバイトを始めた。勿論パートである。もともと金融機関に勤めていた経験があるため、採用となった。しかし正直、かなりキツイと感じている。なにせブランクがあり過ぎなのである。IT化に慣れないのはいうまでもないことだが、それ以上に人間関係、特に若い人の輪の中に入っていけない。 若いときから社交的な性格でもないし、姉御肌的な性分でもない。真面目にコツコツと仕事をするタイプではあった。しかし、いくら真面目に仕事をするタイプでも、嫌でたまらない仕事がある。クレーム客、クレーム電話の応対などだ。誰でも嫌な仕事かもしれないが、現役時代に嫌だと思った仕事を情け容赦なく押し付けてくる若い正社員に腹がたって仕方がない。自分が現役だったころは正社員が率先して嫌な仕事を引き受けたものである。時代が違うから止むを得ないと頭では納得しても、腹では納得できないのである。そうこうしているうちに1年が経った。普通慣れてくるものだが、最近、不満が益々嵩じてきている。年齢的に別の仕事を、というわけにもいかず、不満を抑えつけながら、仕事をこなしていた。 数ヶ月前ほどから、眠りが浅いのを自覚していた。夜中に何度か目を覚ましてしまうし、朝起きたときになんとも言えない疲労感を感じる。熟睡していないのが自覚できるのだ。 更年期障害は経験しているが、それが強かった時期でも感じなかった症状である。あまりにも熟睡できないのと、そこからくる昼間の眠気の強さ。尋常ではないような気がして医者に行った。医者は「更年期障害の名残とストレスの合併症みたいなものでしょう」と言って薬を処方した。洋子自身、納得がいかない。そんなおり、友人から米田のところを紹介されたのである。 ツボ処−命泉。友人から聞かされた治療院の名である。友人曰くには、夫婦でやっていて、安心していけるとのことだ。病院以外にそういうところへは行ったこともないので、少し不安であったが、友人からそう聞かされていたので、足を運ぶことにした。 吉祥寺、南口メインストリートに沿って建っている雑居ビルに看板がかかっていた。やや薄暗い感じのエントランスホールに入り、エレベーターで7階まで行った。704号室に目指す治療院がある。 中へ入ってみると、治療院というよりもサロンのような雰囲気である。レモングラスのかすかな香りが漂ってくる。決して広々としているわけではないが、小洒落た感じで清潔感があった。 「いらっしゃいませ。菊田さんですね。鈴木さんからお聞きしていますよ。どうぞ、どうぞお入りになってください」中年の同年輩かと思われる女性が初対面なのに親しみを込めてあいさつしてくれた。鈴木とは紹介してくれた友人の名である。無意識に緊張していたのであろう。菊田洋子はその一言で安心感を覚えた。若者でも感じのいい人はいる。しかし、仕事で若い人からアゴで使われるような経験をしている洋子にとって、まず、同年輩であるという安心感、そして、その人柄を表すようなサロンの雰囲気に安堵を覚えたのである。 奥の部屋から、やはり同年輩風の男性が出てきた。 「こんにちは、菊田さん。米田と申します。今日はわざわざお越し頂き、有難うございます。鈴木さんには大変お世話になっているんですよ。鈴木さんのご紹介ということで楽しみにしておりました」満面の笑みを浮かべて、この男性もまた親しみを込めて挨拶してくれた。丸顔でめがねをかけている。どこか茫洋とした雰囲気があるが、それがまた、安心感を与えている。洋子は来て良かったと心から思った。 「こちらこそ、楽しみにしておりました。よろしくお願いします」 「まあまあ、どうぞおかけになってください」 洋子は薦められるがままに腰を降ろした。 「なんでも、夜眠れないとか・・そうお聞きましたが・・これは簡単な問診表ですので、記入して頂けませんか。記入し終わりましたら、また、お話を伺いましょう」 住所氏名年齢、そしていくつかの項目に○をし、主訴を簡単に書いた。数分くらいで書き終えたので、もう少し詳しく書いたほうがいいのか、とも思ったが、後で話しを聞いてくれるということなので、書き終えた旨を伝えた。すると、最初に応対してくれた女性、奥さんだと洋子は確信していたが、その女性が、「では、どうぞ、こちらで着替えしてください」と案内してくれた。洋子はとにかく初めてのことであるから、言われるがままにするしかない。更衣室で着替えを済ませると、今度は足浴のコーナーに案内された。 「どうぞここに腰掛けて、この足浴器に足を入れてください」 これも初めての経験であった。足を入れると適度な温かさのお湯が踝から下を包み込むようにぬくもりを与えてくれる。そして、バイブレーションとバブルの刺激がたまらなく心地良い。特に洋子は冷え性でもある。(まあ、足浴って、なんて気持ちいいのかしら!) 内心驚きながら、もう不安のひとかけらもなかった。 米田吾朗は1分くらい経ってから、洋子に近づいていった。もう少し状況を把握すべく、話しかけた。本来なら、ゆっくり足浴に浸かってもらいたいところだが、時間が押している。足浴に浸からせながら、問診を続けるのも止むを得ないのである。ただし、すぐには話しかけない。1分くらい浸からせた後のほうが、クライアントがリラックスし、色々なことを話してくれることを経験上知っていた。 「眠りが浅いということですが・・寝た気がしない?病院には行ったわけですね」 「ええ、かかりつけの病院には行きました」 「医師はなんとおっしゃっていましたか?」 「更年期とストレスですって」 「ふ〜む、確かに、ホルモンバランスが狂って、そこにストレスが加わると、不眠を訴える人が多いですわね。で、どういう治療でしたか?」 「睡眠薬と精神安定剤を出してくれました。でも私、睡眠薬や安定剤はあまり飲みたくありませんの。だって、よく癖になるっていうでしょう?」 眠剤や安定剤を常用していると、確かに常習化する可能性はある。昔の眠剤に比べればかなりリスクは軽減されてはいるが、このクライアントの気持ちは分からないでもない。 「そうですか、眠剤と安定剤の処方ですか・・まあ分かりました。やってみましょう。あと、昔、事故にあったとか、身体を強くぶつけたという記憶はありませんか?親から聞いていることでも結構です」 この質問は重要である。運良く、覚えてくれているクライアントもいるが、ほとんどの場合、忘れていることの方が多いものだ。もし、覚えていてくれていたなら、それだけで施術の重要なヒントが掴める。 「え〜と、う〜ん、そういう覚えはありませんけど」 米田にとって、こういう答えは予想の範囲である。まあ、施術の中で見極めていくしかあるまい、と覚悟した。 仕事の環境とか家庭の状況とか、聞きたいことは山ほどある。 しかし、初対面から根掘り葉掘り聞くわけにも行くまい。昔はとにかく最大もらさずクライアントの情報を聞き出したものだが、それが却ってマイナスになる場合もあるということにある時、気づいた。直接的なスキンコミュニケーションを行う米田のような仕事は信頼されて始めて心を開いてくれるのだ。この場合の信頼の元となるのは施術の良否である。施術中、クライアントが心から癒されていると思ったとき、自然に心を開く。術前よりむしろ、術後に重要な情報が得られることが多いということを米田は学んだ。焦りは禁物である。 言葉の情報は最小限にして、まず被服を通してでも訴えてくる皮膚感覚を重要視しなければ成り立たない仕事でもある。一回目で必要な情報は問診表に記入されている事柄と今のカウンセリングで充分であろうと思った。 そうこうしているうちに5分があっというまに過ぎた。 手順どおりに足を拭き、そしてベッドに仰向けに寝てもらった。 「フル施術ということでしたね。足からの施術を行いますよ。足からやって、首、腕、肩、背中、腰、そして頭と、要するに全身ということになります。約2時間かかります」 もとより、洋子は友人からその旨聞いていた。異存あろうはずがない。 「よろしくお願いします」と殊勝に答えた。 見ただけでどこが悪いか判断できると豪語する整体師もいるが米田はそれを信じない。 おおよその問題点は指摘できるが、施術の最中にそれが変わってくることを知っている。ツボは移動し、コリも思わぬところから表面に浮かび上がってくるのだ。施術しながら、微妙な調整が必要であることを熟知している米田にとって、占い師まがいの同業者は軽蔑の対象でしかない。(2時間でも足りないくらいだ)と秘かに思うが、ワイフの手前イタズラに無料延長するわけにもいかず、(なんとか2時間でケリがつけばいいが・・)と祈る思いだった。 いつもの通り、足裏の精査からはじめた。専門的には全息胚診断と呼ばれるものだ。これに頼り切るリフレクソロジストもいるが、米田にとっては直感の確認作業でしかない。 予想どおり頚椎の歪みを示している。不定愁訴を訴える者はほぼ100%近くの確率で頚椎の異常を検出できるものだ。次に米田が重要視するのは頭部、つまりそれを示す拇趾回りである。若干の角質が偏在していて、母趾腹に力がない。これは局所的な脳膜の緊張を示し、主訴である不眠はさもありなん、というところである。内臓系はやや肝臓に難ありである。不眠によるストレスであろうか。即断はできないが一応頭にはいれておこうと思った。 膀胱の反射区の腫れ具合と子宮、卵巣の反射区の感じから仙骨異常を見て取った。説明すると長いようだが、米田はほとんど一瞬で行う。 次に脈診である。鍼灸や漢方の世界では手首で脈を取る。しかし、もともと東洋医学では足での脈診が最初に発見され、活用されてきた。「黄帝内経」というおよそ1800年前に編纂された東洋医学のバイブル的文献をみると、若干ではあるが、足の脈の記述がある。現代では古文献の発見などもあり、かなり東洋医学の原初的姿が明らかになりつつあるが、その研究成果の一つとして、足脈の存在がクローズアップされているのだ。 米田はこの滅んで伝承が途絶えた足脈に早くから注目してきた。まず足から施術する施術家にとってそれが義務でもあると感じたのである。 東洋医学における脈診は西洋医学における脈診とは大きく異なる。脈の中に「気」を見出し、全身の情報を探ろうとするのが東洋医学的脈診の態度なのだ。一朝一夕で出来るものではない。米田はこれを独学で修練してきたが、中々手強い。まだまだ体系化出来るようなものには仕上がってはいないが、それなりに感覚を掴んでいた。 (胃脈は強いが輪郭がぼやけているな、やや浮き気味でもあるし・・)胃脈とは足の甲でとれる脈のことである。東洋医学での胃は西洋医学の“胃”という臓器のことをいうのではない。特に胃脈が表すものは違う。もちろん、胃の活動状態も含まるが、それ以上に後天的に獲得した、つまり飲食で得たエネルギーの配分の度合いなどを表す。せんじ詰めれば、その時点でのライフスタイルのあり方のようなものか。 (ストレスの度合いが強いようだ。不眠だけが原因とも思えぬが、少なくとも影響がでていると判断して間違いあるまい)米田はこのご婦人が抱えている問題を心底気の毒に思った。 次に腎脈。(胃脈とは逆だ。糸のように細い脈で、弦を弾くようなピンとした緊張感がある・・) 腎脈とは内くるぶしの下際で取れる脈のことである。この腎という考え方も西洋医学での“腎臓”をはるかに超えた概念を表す。腎脈−先の胃脈とは逆で先天的な生命エネルギーの配分、または消耗度合いを表現するものと思っていいだろう。胃脈が“後天の本”腎脈が“先天の本”と呼ばれるのはこのような理由からである。“先天の本”“後天の本”は東洋医学における人体の2大エネルギーセンターのようなもの。生命力そのものとその配分。ライフスタイル、特に食生活、ストレスをどう処理しているか。これらは互いに関連しあって、一方が一方に影響を与え、また一方が一方を助け、抑制しあう関係とも言える。 このバランスを診るのが足脈である。 (う〜ん、バランスが崩れているなぁ〜、このままだと、本当の病気になる可能性がある。年齢、主訴から考えると、ウツ的気分が強くなり、相当な愁訴に苦しむことになる・・何はさておき、この不眠を何とかしてあげないと・・多分、よく眠れるようになれば未然に防げるはずだ)米田は心の中でつぶやいた。 手早くおおまかな診断をした後、足の甲を緩めることから始めた。こうすると、足裏の緊張が取れて施術しやすくなる。そして、いつもの言葉をかけた。「さあ、それでは菊田さん、いよいよ施術に入りますよ。リラックスして受けてください。私が足のうらをゆっくりと、しかも充分に深く押していきます。その一つ一つが菊田さんの身体に浸透して癒していきます。また、そのようにイメージしてください。そうイメージするだけで効果は倍増します」そして、土踏まずやや上方から深く指を沈めていった。圧が充分浸透した頃合をみて静かに離す。(うん、反応するようだ・・)米田は体調が万全で落ち着いた気分でいるとき、自分の圧が浸透しクライアントの全身に広がる感覚をイメージできる。イメージは主観的なものではあるが、経験から、主観と客観がかなりの確率で一致することを知っている。知っているからこそ、最初の一押し目は相当な注意を払うのだ。この最初の一押し目で不全感を感じたり、妙に押しづらかったりすると、施術全体が失敗に終わる可能性さえある。米田とて神の身ならぬ人の子である。調子の悪い日もあるが、今日のこのクライアントには良い施術が出来る予感がした。 一方、洋子は米田から圧が全身に広がっていくようなイメージを持てと言われて、一種の戸惑いを覚えた。(どうイメージすれば良いのかしら?)しかし、その心配は杞憂であった。最初の一押し目、深い圧が加わったときに確かに表面的な刺激ではなく、何かしら身体の奥に浸み込んでくるような、何かが足から伝わってきて身体に入っていくようなそんな感じを持ったのである。(まぁ!これが気というものかしら?) このとき、洋子は気づいていなかったが、洋子自身、気というものに敏感に反応する体質だったのだ。今まで、気功やヨガなど、そういったものに全く興味はなく、友人達が話しするのを聞いていた程度である。一応、話は合わせるが、興味がない以上、自分とは無縁の世界だと思っていた。しかし、気に反応する体質であるかどうかは、興味があるとかないとか、それを信じるとか信じないとかに全く関係がない。洋子は見事に反応する体質の持ち主なのである。 イメージする必要もなかった。あるがまま感じていればいい。洋子はその感覚を楽しむようにただ感じ続けた。身体の各所に何かが駆け巡り、そこここで、音を立て、また移動していく。(面白い・・なんて不思議な感覚・・なんて気持ちがいいのかしら)所謂、単なるイタギモとも違う、まさに癒されているという実感を伴う不思議な感覚に身を任せているうちに、夢とうつつの狭間を彷徨っている自分に気がついた。 米田は心地よさそうに施術を受けているクライアントの姿を見て安心した。 (菊田さん、気持ち良さそうだな、適圧であるに違いない、押しやすい足でもあるし) 確かに押しやすい足と押しづらい足がある。それは大小に関係なく、極端なことを言えば硬い、柔らかいということでもない。説明するにはあまりにも感覚的なこと過ぎるので、上手く表現できない類のものだ。あえて言えば、気が通っているような感覚でもあるし、名状しがたい何かが自分の手から出て相手を包み込んでいるような感覚でもある。その感覚を持ったとき、その施術は上手くいっていることが多いのである。ところがさっぱりその感覚がない場合もある。人によって違うのだ。そのような感覚を持てない足を押しづらい足という。しかし今回は最初の予感通り、施術が順調なので米田も満足していた。足裏からやがて、側面、足甲へと移っていった。さらに膝から下の下腿部へと。足三里近辺から陽経にかけて丹念に指を沈ませ、下腿陰経、ふくらはぎ、膝裏へと進む。 腓腹筋とヒラメ筋を充分に伸展し、そして片足を終えた。つまり、左足をということだ。 続いて右足である。脈診では右足の方のエネルギーの流れがやや良くないような気がしたので、さらに注意深く施術する必要があると米田は思った。 そして、右足も充分注意深く施術し、足の施術は完了した。 「菊田さん、足が終わりましたよ。如何でしたか?」 「えっ、あっ、お、終わりましたの?なんだか夢をみていたみたい。少し寝てしまったかしら・・でも、気持ち良かったです。ホントに気持ち良かった・・」 無論、お世辞などではない。洋子にとっては初めての経験であるが、これほど気持ちが良いものだと思ってもみなかった。 「そう、それは良かったですね。身体のどこかに詰まった感じとか、抜けきれずにモヤモヤした感じはありませんか?」 洋子は一瞬言っている意味を理解出来なかったが、特にそんな感じもしなかったし、むしろ、身体全体がほぐれていて、ホカホカと心地良い感覚に包まれていた。 「いえ、大丈夫です。身体が楽に感じます」 米田にとって初めての人、つまり初検の人にはこの質問は必ずする。 仮に押しやすい足の持ち主であっても、気が通りやすいが故に気が動き、身体のどこか、滞りの強い部分でブロックされ、まさにその部分でモヤモヤ感や詰まり感を感じる場合もあるのだ。そういう場合は却って、その人の弱点があぶり出されるという意味で歓迎なのだが、その後の処置を誤ると、コリが抜けきれないまま帰すことになってしまう。それでも、時間が経てば抜けることは抜けるが、なるべくなら避けたいところである。言ってみれば、施術中に起きる瞑眩反応(めんけんはんのう)みたいなものだ。(※筆者注:瞑眩反応=治癒反応のこと。好転反応に近い概念で東洋医学用語) 菊田はそのような感覚は持たなかったようだ。まあそれはそれでよい。そのように感じを受けるのは全体の一割程度である。 「そうですか。まあ良かった。さて、今度はそのまま仰向けで首のほうの施術を行いますよ。首の前の方から鎖骨の下、肩の関節、二の腕、前腕と続きます。これもリラックスして受けてくださいね。痛かったら遠慮なくおっしゃってください。痛くはないと思いますけどね」 「はい・・」かすれたかのようにかすかに返事する。洋子はもう声も出したくなかった。そのまま身を委ねていたいのである。 洋子が充分に深いリラックス状態にいることを確認できた米田は左側の首の操作へと入っていった。 左首の前とも横とも、付け根とも、なんとも特定しようがない場所を押されたとき、洋子はやや驚いた。肩甲骨とも肩とも上腕ともこれもまた特定しづらい場所が重く感じられるのだ。少なくとも、押された場所ではない。 一方、米田は押している指にチリチリした感覚を覚えていた。さらに軽く腕を押さえている補の手にも、ふぁっ〜と押し返してくるような抵抗を感じる。 (この辺だろうな、腕神経叢、肩甲背神経などが反応しているだろう)米田は自分の身体に伝わってくる感覚で響いていることを確信した。 「ちょっと、響くかもしれませんよ、大丈夫ですか?」 米田の呼びかけで洋子は始めて合点がいった。 (そう・・響き・・この感覚は響きなのね)洋子はどう表現していいのか分からないが、何か懐かしいような、またそれを表現する適切な日本語があるような気がして仕方なかったのである。その言葉が喉まで出掛かっているのに思い出せない、まるで、急性の健忘症に罹ったかのようなもどかしさを感じていた。それが今の言葉でようやく思い出せた。最初に足裏を押されたときの感覚のもっと強い感じ。重いという表現は適切ではない、響きという言葉が一番ピッタリと似合う。 「ええ、大丈夫です。響いて気持ちがいい」 たった今、合点がいった言葉をそのまま使って答えた。 米田はそこでも満足した。手に伝わってくる感触どおりである。施術家が受ける実感とクライアントが受ける感触とが一致しているとき、その施術は施術家にとっても実に心地良いものに感じる。そしてなにより効果が増す。米田は久しぶりに良い施術を行い得ていることに喜びを感じていた。こういうのが、施術家だけが味わえる喜びというものだろう。 しかし、喜んでばかりもいられない。これからが勝負なのだ。 米田は一番慎重にならなければならない部位への施術に移ることにした。鎖骨とトップバストとの中間部である。この中間部にある肋骨の間に指を沈めていかねばならない。それは女性であれば乳腺が始まるギリギリのところであろう。特に男性施術者が女性のクライアントに行う場合は神経を使う、極めてデリケートな部位である。 そしてこの部位へのアプローチの目的は押すことにあるのではない。親指を立てながら人差し指と中指も立て、親指を支える。実はこの支えている指が胸骨に軽く触れ、胸骨自体の動きを探ろうとする施術なのである。つまり親指はある意味囮なのだ。本当は軽く、胸骨に触れ、じっとその動きが手指に感じるまで待っていたいのであるが、場所が場所であるだけに、不自然に映る。被服を通してとは言え、人の身体に直接触れる米田のような職業では慎重の上にも慎重に行うのが鉄則だ。いらぬ誤解など受けたくない。 肋骨間の間隙におよそのあたりをつけ、親指を立てた。圧面積を小さくしているため、さほど力は入れずとも、充分押されている感じをうけるものだ。 洋子は少し、ドキッとした。かなりバストに近いところだったからだ。 しかし、米田の自信に満ちた態度と暖かい手で、決して不愉快な感じはしない。むしろ、適度な響きを伴うその施術に、さっきから本当の意味でのリラックス感を感じていた。夢うつつなのである。そのまま身を委ねる。 米田は米田で、慎重に行いつつも人差し指と中指に伝わってくる胸骨の動きを察知するのに余念がない。意識は親指にはないのである。 (ん〜、動きが悪いようだ)米田の指には、菊田洋子の抑圧された感情、つまり、緊張感のようなものが伝わってくる。(なるほど、ストレスといえばストレスだな、まあ後々、話してくれるだろう、それにしてもこうまで胸骨の動きが悪いと、胸骨を開く操作も加えねばなるまい)米田は少し時間が気にかかった。スタンダードな操作に一つやらねばならないことが加わったのだ。案の定である。当然、時間が押してくる。何かを省略すれば良いのだが、初検でそれをやりたくない。まずは丁寧に診るのを信条としている米田だからだ。 そこで、ほんの少し、動作を早くすることにした。 肩関節の際に深く指を沈めた。しばらく後、ゆっくり離す。それから関節をゆっくり回し、そして軽いストレッチを関節と腕に加えた。 続いて腕である。この腕というのは気持ちがいい。米田は自身の経験からもそれを知っていた。若いころ、台湾に遊びにいったとき、たまたま知人からマッサージを薦められた。 もとよりコリ症の米田は喜んで行ったものだ。そこで行われていたマッサージは腕への指圧を中心としたものだった。米田は指圧やマッサージにはよくかかったが、腕へ充分に時間をかけての施術を受けた覚えがない。受けていて、腕とはこれほど気持ちいいものなのか、という強烈な印象を持ったものである。 この印象が強く残っていたので、後に整体師になったとき、腕への施術に時間を割くようになった。今思えば、腕への経絡治療だったものだと分かる。そして、単に気持ち良いという理由だけではなく、肩こりや目の疲れに治療上必要不可欠なものであると確信しているのだ。 上腕陽経側、つまり腕の外側に対して、自身の前腕やや陰経側、つまりやや内側で圧迫圧を加える。東洋医学陰陽理論でいう「陰陽合すところの大極」効果が望める。また、左腕に対して右腕で行うことから、エネルギー医学でいう極性理論とも合致し、合理的な施術方法であると米田は秘かに思っていた。もうこの辺になると、ほとんどのクライントが夢うつつの状態から、本当の夢状態、つまり寝入っていることが多い。 事実、洋子は軽い寝息を立てていた。米田は腕への念入りな施術を行いながら、ふと視線を洋子の足を方へ向けた。足を小刻みに揺らしている。(ん?なんだろう?)明らかに寝息を立てているのだから、貧乏ゆすりではあるまい。米田は気になった。痙攣にも似た動きなのである。前にも見たことがある現象だが、はっきり思いだせない。(腕への施術で足の不随意運動が起きるものだろうか?何かの反射か・・)心当たりを探ったがやはり思い出せない。 そうこうしているうちに、左腕の施術を終えた。続いて、同じことを右側で行う。 右側の施術を行っているうちに先ほどの現象はなくなった。 (なんだったんだろう?)多少、訝りながらも、米田は施術を続けた。 右側首、肩、腕の施術を終え、続いてとりかかるのは、「腹診、腹証」と呼ばれる腹への施術である。腹を重要視するのは日本漢方の特徴である。既に漢方の本家である中国では滅んで伝わっていない。むしろ、日本から逆輸入して、取り入れているくらいだ。 “万病は腹に根ざす”とは江戸時代に活躍した有名な漢方医の言である。そして、日本独特の腹証というものが江戸時代に完成された。今日的な言葉では中々理解しづらい表現方法をとるが、米田は幾多の漢方医が生涯をかけて蘇らせた腹証というものに敬意を表せざるを得ない気持ちになる。足裏と同じようにお腹の状態、感触は人によって様々な形をとるのである。それらを確かめながら施術していると、それがそのまま、治療にもなり、「診断即治療」という東洋医学の原則をもっともよく体現しているのが腹証というわけだ。東洋的な概念を使わなくとも、内臓におけるリンパ流の停滞は、良かろうはずがない。また、自然療法の中では内臓の位置異常を重要視するのが普通である。であるから、西洋手技法の中にも内臓マニピュレーションという手技の方法論がある。いずれにしても、腹は重要である。しかし、重要である反面−重要であるが故と言ってもいいかもしれないが、腹部は骨格で保護されておらず、また筋肉も鍛えた者を除いて発達していない。ほぼダイレクトに腹膜に作用して内蔵に影響を与えてしまうのだ。足や腕の施術、背中の施術も内臓に影響を与えるがそれは神経や経絡を通じての間接的なものである。腹証は直接的であるが故に危険を伴う。 それ故、日本の歴史の中で、腹部への施術を行える者は制限されていた。普通の按摩師では出来なかった行為でもある。 米田は初見の場合は必ず行うと決めていた。しかし、菊田の場合、腹部は過敏である可能性が高いことも見抜いていた。足の施術のときに、三焦経に問題があることを感じていたからである。 三焦経。東洋医学だけが特定し得た人体の膜系の総称である。膜というのは人体におびただしいほど存在する。首から上だけとっても脳膜三種、角膜、網膜、鼻粘膜、口蓋粘膜、下へ行けば胸膜、内臓の中には胃の粘膜、腸の粘膜。また表層に戻って腹膜。女性は子宮内膜というものさえある。 因みに三焦は上焦、中焦、下焦の三つを一緒にした総称のことである。上、中、下はほぼ位置と対応すると考えていい。 足部の三焦経に問題があるということは、位置関係から言って、少なくとも腹部、即ち腹膜が過敏である可能性が高いのである。 三焦経異常の者はお腹に触れられることさえ厭う者もいる。ましてや、按圧するとなると、痛くて耐えられない者が出てくるのだ。しかし、米田は慎重に行うことによって、腹証を全うする自信があった。くすぐったいと訴える者以外には対応できる自信はある。 (さ〜て、腹証だ。慎重にせねば・・・・) 上腹部、水月の下にゆっくり指をあてがった。そして沈ませる。 (やはりか、少し硬いな) 反発され、指が沈んでいかないのである。もう一度、呼吸を整え、相手の呼気に合わせて試みる。幾分、受け入れてくれたが、それでもまだ硬く反発するかのようである。 押し切らず、かと言って中途半端でもない絶妙といえば絶妙な手加減が要求される。腹証の難しい所以である。水月下の反発を感じながら、補の手は手掌を使い、腹部全体を抑えておく。そして、そのまましばらく抑えておいた。微妙に緩んでくるのが分かる。頃合をみて、按ずる部位を変えていった。硬い部分は緩みを感ずるまで、逆に力なく緩み過ぎている部分は張りが戻る感じを受けるまで、慎重に時間をかけ、腹部の施術を終えた。腹証を省略することなくやろうとすると、結構時間がかかるのである。しかし、時間がかかるだけのリターンはある。米田は腹証のお陰でまた一段と洋子の身体の特性を掴んだのである。 心実―三焦虚。経絡的にはこれが洋子の病名になる。しかし、これほどクライアントに説明しづらいものはない。正確には病名ではなく、経絡的な体質の歪みを表しているものだ。 簡単に言えば、心経が実していて三焦経が虚している状態のことをいうが、簡単に言えば言うほど、何を言っているのかさっぱり分からない事態になるだろう。これを説明しようと思えば、クライアントに東洋医学の講義をしなくてはならなくなる。これではカウンセリングにいくら時間を使っても足りない。一時、米田も試みたことがあるが、限られた時間の中で説明するのはあまりにも難儀なので、説明の仕方を変えた。故にクライアントに直接は言わない。言わないが、東洋医学的に表現された歪みの型を施術者が把握するのとしないのとでは施術のあり方が全然違ってくるのだ。しかし、現代人の身体の歪みは複雑で経絡的な歪みだけを頼りにしても、早く改善できない例も多い。様々な身体の診方を駆使しなくては最早、プロとしてやっていけない時代に突入しているのである。 (心実、三焦虚か・・・いずれにしても上腹部の異常だ。ということは横隔膜の位置異常だろう。やはり胸郭は広げてやらねばダメだ。同時にこの横隔膜の位置異常は仙骨のズレが原因だ。全息胚診断での見当のつけ方は間違いではなかったな。しかし、益々時間が足りなくなってきたぞ)米田は焦りを感じていた。 焦りを感じつつも、菊田洋子の状態の全貌を掴んだと悟った。勿論、整体的に、である。やはり全息胚診断で気になった仙骨のズレがあるのだ。しかも左側に。エネルギーの流れは右足の方が悪いと感じたが、それは庇うことによる右股関節の拘束からくるものであろう。そうなれば、股関節へのアプローチも手が抜けない。 まずは左股関節から緩める。 骨盤と大腿の付け根に指を沈めていく。そして、ゆっくりと股関節を回していった。さらに臀部筋群へのストレッチ。これは三方向必要だ。意外に知られていない事実だが、二足歩行する人間において、臀部筋群がもっとも発達している。競馬に出るサラブレットの見事に発達したお尻を臀部筋肉群と見誤る向きもあるが、あれは臀部筋ではなく大腿部、つまり太ももの筋肉なのだ。四足歩行する動物は見た目どんなにお尻が発達しているように見えても筋肉自体は臀部筋ではなく、大腿筋なのである。そして、人間の場合、その発達した臀部筋が大腿骨とつながり、股関節の動きに極めて重要な役割を果たす。つまり、股関節の可動域の良否は大半、臀部筋が握っているといってもいいだろう。さらに仙骨と大腿骨が直接つながっている筋群もある。故に仙骨の位置異常を矯正するのに欠かせない操作なのだ。 臀部筋群への充分なストレッチを終えた後、今度は股関節と膝関節を同時に動かしていった。この操作は先に紹介した黄帝内経冒頭部に出てくる、「四肢を静かに動かす」という記述からヒントを得たものだ。「四肢を静かに動かす」たったこれだけの表現である。それがどんなもので、どのようにするのか具体的な記述がない。なるほどこういうことをいうのか!と実感するまで米田は実に20年近くかかった。操作自体は実に簡単なものであるが、膝関節と股関節の拘束を同時に除去できる優れた方法ではある。黄帝内経に具体的な技法の記述がないのは、当時の医家にとっては当たり前のことで、詳細記述する必要がなかった為であろう。常識中の常識だということだ。しかし、このように文献で詳細な記述がないが故に後世、断絶した技法を巡り、論争の種になったりもする。 米田はこの方法でおそらく間違いあるまいと、実感の上から確信していた。実感的に確信すれば論争など無用である。 続いて、大腿内転筋群へのアプローチである。左足を曲げ、左足裏が右膝にピタリとつくように位置を調整する。そして、静かに左脚を伸ばす。さらに内転筋群へ手掌で圧迫圧を加えていく。経絡でいうと、大腿部陰経側に影響を与えるものである。これは非常に重要である。特に女性にとっては「血の道症候群」(婦人科系)に著功が得られる。足裏精査―全息胚診断で子宮、卵巣系に問題を見て取った米田としては、ここも省略できないところだ。これを3ポジションで行い、続いて大腿部の裏側、通称ハムスト筋の伸展、ストレッチへと操作を進める。この操作は思いの他、時間がかかることがある。仰向けに寝た状態で膝を伸ばし、下肢が90度まで挙上できればよいが、そこまで挙がらないクライアントも多い。実はそれが出来ないからこそ、様々な症状に悩まされることになるのだ。ハムスト筋の極端な縮みは隠れた体調の目安ともなる。 洋子の下肢はやはり90度までは挙がらない。せいぜい80度くらいか。一気に90度まで伸ばそうとすると、非常な苦痛を与えることになる。学生時代の部活ではないのである。 年齢的にも、無理なストレッチは筋の微細な断裂を招き、修復が遅い上、庇っているうちに他の歪みを生み出してしまう可能性さえある。米田はまず、洋子の下肢、アキレス腱からふくらはぎにかけて自分の肩にのせ、膝上方部分に両手をあてがった。そして80度近辺、つまり洋子にとってギリギリ無理のない角度で、あてた両手を使って膝を伸ばしていった。勿論、何度も何度も同じ動作で少しずつ伸ばすのだ。そして、徐々に90度に近づけていく。 さすがに90度に近くづくと苦しそうである。そこでまた、角度を甘くして、何度も伸ばす。また90度に近づけていく。そうしたことを繰りかえして、ほぼ90度まで挙上することができた。そのあとハムスト筋のマッサージが必要である。一種のクールダウンのようなものである。 左下肢の操作を終え、右下肢の操作へと移る。米田が予測したとおりなら、右股関節での拘束が強いはず。ゆっくりと股関節を回しているとその兆候が早くも表れた。 回す度にコキッコキッと鳴るのである。 (なるほど、やはりな) 米田は予想どおりであることを確認し、念入りに股関節操作を行うことに決めた。 ゆっくりと何度も回していく。しかし、一向にその音が止む気配がない。 (参ったな。これじゃキリがない) 勿論、そのコキッという感覚がなくなればいうことなしなのだが、一回や二回の施術ではその現象の消失までには至らないケースが多々ある。 (仕方がない、これはこれでよしとしよう) 米田は、これ以上は無理だと判断して次への操作へ移っていった。 そして、左下肢と同じような手順で右下肢の操作を終えた。 最後に足の長さと、足の向きの調整をして仰向け状態の施術は終了である。 (ふ〜、腹証に時間がかかったが、何とか時間に間に合うか) と米田は時計を見た。愕然とした。何と一時間半が経過している。 没入状態で施術するのは、それなりにいい施術ができる。しかし、欠点は時間経過が通常と違うのである。思ってもいない程の時間経過に驚くこと度々なのだ。あと30分で後ろ首、背中、腰、そして洋子には一番必要と思われる頭部の施術をやらなければならない。 (むぅ〜、弱った・・・) 米田はすばやく計算した。 頭部への施術のために必要な下準備は脊柱際を緩めること、つまり、脊柱起立筋へのアプローチである。あとは首の筋肉も緩めねばならない。しかし、仙骨の調整が残っている。 さらには胸郭を広げる操作もだ。 (よし、うつぶせで行おう。うつぶせにさせて、左右同時に脊柱起立筋を緩めていこう。そのあと、仙骨へアプローチ。これで15分。首は頭部の前のネックセラピーで間に合うか・・これで15分。合計30分だ。最後の最後、横向きにして胸郭を広げる。最悪でも5分の超過で済む。) 通常の手順とは違う。米田はうつぶせの施術よりも横向きの施術をよく使う。したがって、横向きで首をほぐし、背骨の際も緩める。さらに横向きのまま胸郭も広げるのだった。 うつぶせにさせるときは仙腸関節の最後の調整をするときだけだ。この方法だと、クライアントにかける負担が一番少なく済む。人間、横臥が一番リラックスできる体勢だからだ。 しかし、左右同時にはできない。これが横向き施術の欠点ではある。 (この際、仕方あるまい・・幸い、肩甲骨を完全に緩める必要がない体質だ) 「菊田さん、今度はうつぶせになって頂きます。一度起きてもらえますか?」 「はい」洋子は素直に起き上がり、準備が出来上がるのを待った。 米田はすばやく、バストマットとフェイスマットをベッドに置き、タオルを顔にあたる部分に敷いた。 「どうぞ、ではここに顔をあててうつぶせになってください」 洋子がうつぶせになり身体の位置を決めるのを待った。若干右側へズレている。それを直し、うつぶせの施術を始めた。 仰向け施術を入念に行ったせいであろう。思いのほか、背部は緩んでいる。 (おお、これはいい・・思ったより早く終わりそうだ) 一定のリズムで背骨の両際を押していく。素直に一回ずつの押圧で緩んでいくのが文字通り手に取るように分かった。骨盤の際まできて、もう1ライン外側をやる。これは肩甲骨の際から始める。これも難なく入っていく。 (ここまでは順調だ・・さて、仙腸関節へのアプローチ。この施術のキモの一つではある。慎重にやらねば) まず、臀部筋に対して肘を使って押圧する。すでに仰向け施術で臀部筋へのストレッチは済んでいるため、抵抗なく押せた。大腿部裏−ハムスト筋も同様だ。 そして仙腸関節。うつぶせのため顔が見えない。米田の感覚だけが頼りの部位だ。強すぎると危険であるし、恐れて弱すぎると効かない。 仙骨を左手で抑え、太ももの前部に右手を回し、そのまま左下肢を持ち上げる。少しずつ持ち上げながら、左手に伝わってくる仙腸関節の動きに全集中力を向け感じ取る。 腸腰筋がミシミシと音を立てて伸びていく。 (むぅ〜、ふんっ、おっ、入ったか!) 仙骨がほんのわずか動き、ズレながら入っていく感覚があった。 (もとに位置に収まったようだ。やれやれ) 左が入れば問題ない。右側は臀部から大腿部裏までの押圧だけでいい。 そしてそれらをやり終え、もう一度、洋子に言った。 「はい、菊田さん、何度もすみませんね。もう一度、仰向けに寝てくださいます?」 もう一度起き上がり、仰向けになりながら、洋子は思った。 これまでの一連の手技を受け続けるうちに自分の身体が段々若くなっていくかのようだと。ある時は押され、あるときは伸ばされ、縮こまっていた身体がグングンもとに戻るかのようであった。気のせいか、目線の位置がいつもよりも高い、つまり身長が伸びているような錯覚にさえ陥る。身体中を何かが駆け巡っているようだった。洋子はこれを生命力の解放であるとは知らない。知らないが、身体は正直だ。変化を如実に示しているのである。そして何かがあるべき位置に戻ったような、収まるべきところへ収まったような感じを受けるのであった。 「今度は頭をベッドぎりぎりのところへもってきてください。はい結構です。枕はとりますよ」 米田の声が遠くから聞こえるかのようだった。まだ、半覚醒状態なのである。 米田は洋子の頭側に位置し、自身リラックスしながら、全集中力を両手指に向けた。そして、静かに首の両際に触れていく。軽く、ごく軽くマッサージ風に首の筋肉の張りを確かめる。ここで頚椎の歪みを認めた。首の場合、よく筋肉をほぐさないと、歪みが浮き上がってこない場合も多いが、洋子の頚椎は明らかに右側へズレているのが分かった。 (頚椎3番だ、右への変移があるな・・・これも予測どおり・・・) 米田は慎重に行いつつもしっかりと首の状態を把握していった。 続いて、軽いストレッチを加える。首は複雑に筋群が張り巡らされ、頭部を支えている。起きているだけでも、微妙なバランスをとって頭部が傾かないようにしているのである。普段意識せずとも首にかかるストレスは大変なものになるだろう。それがある一定の姿勢を強要されるとき、予想以上の負荷がかかることになる。当然、それがコリとなり、頚椎を歪ませる原因ともなるのだ。しかも、首には迷走神経を初めとする重要な神経が何気に、何にも保護されることなく、スッと通っている。さらには脳に栄養と酸素を供給する頚動脈がある。勿論、静脈系の血管は無数である。 頭部への施術、つまり脳に直接働きかける施術を行う場合、首へのアプローチを怠ると、思わぬ瞑眩反応を引き起こしてしまう可能性が高い。なぜなら、循環がよい状態でないと、首でブロックされ、抜けた感じがしない場合が多いからである。つまり、頭部への施術効果を減衰させてしまうことになりかねないのである。米田はそれらのことを経験的に知っていた。手が抜けない所以である。 続いて、首全体を引っ張り、軽く牽引をかける。首への牽引を否定する治療家もいるが、米田はそうは思わない。何事も程度の問題なのだ。ましてや人が人に対して行う牽引は受ける者の首の状態を常に把握して行うことが出来る。やり過ぎるということはほとんどない。牽引し続け、頃合をみて元に戻しながら、その元に戻ろうとする力を利用し、今度はスッと押し込んでいく。 右に変移した頚椎がスーと元に戻るような感覚が左手指に伝わってきた。しばらくそのままにし、5秒ほど経ってから力を抜く。そして、もう一度触診で頚椎の状態を確かめる。 (まだ、完全に矯正しきっていないな)米田は心の中でつぶやき、何度か同じ操作を加えた。 (うん、この辺が一回で出来る限度だろう) 経験から、一回で出来る限度というものを知っている米田は深追いすることをあまりしない。完全に矯正しきれなくとも、数ミリの復元でさえ、神経への無用な圧迫が軽減され、改善されることが多いものだ。 首、頚椎へのアプローチを終え、いよいよ頭部への施術である。 米田は症状を聞いた時点で頭部への施術が重点であることを理解していた。全息胚診断でも示されていたし、下腿部経絡からも腹証からもそれらを裏付ける感触を得ていたわけだ。 脳膜から睡眠物質が出ている、一昔前なら一笑に付された学説であるが、最近、実験によってほぼ定説になってきている。頭部への施術、特に米田が行うクラニアル・マニピュレーションという手技は脳膜の歪みを取ることができる。菊田洋子の症状に直接関係する部位なのである。いよいよ、施術の本丸といってよい部位にきた。 軽く頭部に触れ、両指を使って、冠状縫合を探る。微妙な縫合線が指に伝わってくる。その指の感覚を頼りに頭部中央へ両指を寄せていく。両指がほぼ同じところで交差するところが大泉門と呼ばれる部位である。乳幼児はここが閉じておらず、触るとペコペコと凹むところだ。専門的にはブレグマと呼ばれているところだが、大人は完全に閉じきっていて探すのに苦労する場合が多い。そこで、前頭骨と頭頂骨の境界、つまり、冠状縫合と呼ばれる縫合線を辿って、ブレグマを確定させるのである。それでも、分かりづらいときは頭頂骨を左右に分けている矢状縫合線上を辿り前頭骨とぶつかる点を特定する。この二つの方法でほぼブレグマの位置が分かる。米田はこれらの方法でブレグマを見つけた。 ブレグマに対して、両指を使って軽く圧をかける。実はこの圧のかけ方が難しい。通常5グラムタッチといわれる軽い圧なのだが、あまり軽すぎると圧が不安定になる。かといって、強い圧で安定させると、指圧になってしまう。指圧はここに圧はかけない。もう少し後ろにズレたところにある百会というツボにかけるのが普通であろう。ブレグマは人体の隠れた最大の急所といってもよく、ここを強圧すると、却って身体にダメージを与えてしまうのである。さらに強圧はなぜか、脳膜や脳にさほど影響しない。この加減は経験を積まなければ中々分からないものだ。 米田は慎重にブレグマを押さえ、頭蓋の動きを感じ取ろうとした。脳は膨張と収縮を繰り返している。一種の拍動があるのである。この拍動が脳膜をも動かし、さらに微細な動きとなって頭蓋そのものも動かしている。今、米田が感じようとしているのは、この頭蓋を通じて感じ取れるはずの脳の拍動なのである。軽い圧をかけることによって、拍動を感じつつ、それがそのまま、拍動の促進になる。これも一種の診断即治療である。 圧を安定させ、頭蓋の動きを感じ取ろうとしている米田は、ほとんど瞑想状態に近い。 30秒ほど圧をかけ続けた。 (う〜ん、少し弱いな、動きがないわけではないが・・・) 恐らく、洋子の頭蓋の動きはもっと弱かったに違いない。しかし、全身的な施術によって、ここまで回復されたと思われる。特に足裏、仙骨へのアプローチが効いているはずである。 そこで、米田はブレグマを押えつつ、気を送るイメージで軽くプッシュした。これは受け手でさえ分からないほど、微妙な圧の変化である。プッシュしたあとの跳ね返りが米田の手指に伝わってくる。米田の気のプッシュに応えてくれているのだ。 頭部はエネルギーレベルが非常に高い。エネルギーレベルとは、なんとも説明できないものだが、一種の生命力の周波数のようなものである。同じ人の身体においてさえ、部位によって周波数の違いがある。下部から上部にいくにしたがって周波数が高くなるのだ。 一般に周波数が低いと、それだけ物理的な力が要求される。故に足への施術は頭部よりはるかに強い力が要求されるのである。逆にいうと、頭部は物理的な力はさほどいらず、部位さえ的確なら施術者の持つエネルギーだけでも反応する。 (随分回復してきたぞ、まずはこの辺でいいだろう) 米田はブレグマへの最初のアプローチを切り上げ、さらに拍動を促進すべく、他の技法へと操作を移した。Vスプレッド、4VC、さらに鼻骨と前頭骨の境界縫合―ナジオンに指をあてがう。そして両眼を軽く押え、これもまた気を送るイメージで圧変化させ、蝶形骨大翼まで指をズラしながら、左右の違いをインプットする。右がやや詰まっているような動きの悪さを感じたので、少し時間をかけ、右側にエネルギーを送った。そして顔面、頬骨へ圧迫圧を加える。 (ん〜?まただ、また足が揺れている) 頬骨へのアプローチではほとんどの者が意識を失っている。つまり寝てしまっているのだ。 先ほどの現象のときも菊田洋子は寝ていた。 (気になる・・後で調べてみるか・・) 頬骨が終わって、最後、もう一度ブレグマを押えてみる。 (おお、凄い!回復した) 先ほどとは比べ物にならないくらい力強い頭蓋の動きが米田の指に伝わってきた。米田は目的を達成したことを知った。 (それにしても菊田さん、よく反応してくる人だなぁ〜) 米田にとってこういう人は本当に助かる。普通は50代にも入ると、中々反応してくれず、往生することが多いものだ。しかし、洋子は違う。もともとの体質とあまりおかしな療法を受けた経験がないせいだろう。薬が嫌いだということもあるかもしれない。 今回はこれで終わるわけではないことを思い出した。 (そうだ、胸郭も広げるのだった) ここに至っては胸郭を広げる操作も不要でさえあると思ったが、念のため横臥にもう一度なってもらって胸郭を広げた。 そして、ベッドに座わらせ、軽く身体を叩打し、覚醒を促す。 「はい、菊田さん、終わりましたよ」 米田は時計をチラッとみた。ほぼ時間どおりである。 「ふう〜、ありがとうございます・・」と洋子。 時間どおりでもあるし、深い満足感を得ている様子を見てとった米田は一安心というところである。 「ではゆっくりでよろしいですから、お着替えをなさってください。急に動かないでくださいよ。まだ身体は休息状態ですから、ゆっくり、ゆっくり、焦らないで」 これは結構重要な指示である。大手路面店などでは、笑顔ではあるが、施術を済ませた後、とっとと帰ってくれと言わんばかりの態度をとるところもある。身体が休息状態にある以上、完全に覚醒するには少し時間がかかるのである。ゆっくり動作をし、ゆっくりと着替えをすれば、ほぼこの問題は解決する。特に米田のような施術をする施術院では休息度合いが深く、急な動作は禁忌なのだ。人の身体は休息状態のときに自己治癒力、自己修復力が一番働きやすい。自律神経的に言えば、副交感神経が優位にあるとき、ということだ。 充分な休息が次の活力を生み出す。当たり前のことであるのに、それを理解していない施術院が多すぎる。理解はしていても、商売的に効率を優先させ過ぎるのか。また、施術が終わったばかりだというのに、必死で回数券を売り込んでくる施術院もある。確かに、ある一定以上通わなければ、効果が出づらい症状もある。故に回数券が経済的合理性を持つ場合もあろう。米田のところも回数券制度は取り入れているが、それらはクライアントが決めることなのだ。さりげなく、こういう制度もあるということを案内すれば充分なのではないか。施術者に販売員のようなノルマをかけてどうする?そんなに儲けたいなら、別のビジネスをやればいいのに―癒しブームに便乗する一部の業者に腹立たしさを覚えるのは米田ばかりではあるまい。真面目に取り組んでいる者にとって癒しブーム便乗商法はハタ迷惑な話以外何物でもないのである。 着替えを済ませ戻ってきた洋子をカウンセリングテーブルに案内し、米田は尋ねた。 「如何ですか。痛みが残っているところとか、疼いているようなところはありませんか?」 「ええ、ありません。身体がとても楽です。軽く感じます」 洋子の頬はやや赤みがさし、血色がよくなっている。 「そうですか、それはよかった。菊田さん、一応ね、一回の施術で出来ることは全部やりました」 そういわれた洋子は深く肯いた。文字通り、足裏から頭のテッペンまでの施術である。そう言われて納得しないクライアントは余程、施術の相性が悪い者であろう。ましてや、洋子は心から癒されたと実感している。身体的に、本能的に米田の言葉にウソがないと分かるのだ。 「ありがとうございました。本当に生まれ変わったような気分です」 「うん、若返ったようですよ。血色も随分よくなった」 米田としてもお世辞をいっているわけではない。そう見える正直な感想を述べているに過ぎない。若返ったと言われた洋子ははにかみながら微笑んだ。 米田は言葉を交わしつつもカウンセリングをどう組み立てるか、考えていた。いつもここで迷う。言うべきことはいくらでもあるが、理解できないことを言っても仕方がない。すでにスキンコミュニケーションは完全に成立している。百万言の言葉よりも説得力があるだろう。考えた末、首にポイントを絞って言うことにした。 「菊田さんね、首なんですよ。首が少し右にズレているんです。まっすぐになるように調整はしましたけどね、一回では中々元に戻るということがありません。もしかしたら、首の若干のズレが原因で神経的に、或いは血流、リンパ流がほんのわずか阻害されて、症状が出ているのかもしれません」 そう言われた洋子は首に手をあてがい、そのまま回すしぐさをした。 「首ですか・・首はよくコルんです」 もとより問診表にそれは書いてあったが、米田は同意するようにうなずき、言葉を続けた。 「そうですね、ちょっと経過をみてみたいんです。2週間くらい経ったらもう一度お越し下さいませんか?」 「2週間後・・ですね。分かりました。またお伺いさせて頂きます。予約はとっておいたほうがいいんでしょうか?」 「ええ、そのほうが間違いないでしょう。特に菊田さんはロングコースですからね。詳しい日時については妻と相談してください」 「分かりました。あと気をつけることとか何かありますか?」 「特にありません。問診表を見るかぎり、食生活や嗜好品にも問題ないようですし。あえて言えば、まあ、ストレスコントロールですかね。これが中々難しいんですけど。ストレスをためないように上手く気分転換を図ってください。今日はお風呂に入ってもいいですし、何をしてはいけないということはありませんよ。そうそう、菊田さんは大丈夫だと思いますが、人によっては施術のあとの反応が起きることがあります。身体がだるいとか、眠気が強いとか、ね。もしそういうことが起きても余程の例外を除いては72時間以内には解消されますから、心配しないで下さい。あと、身体の変化を注意深く観察してみてください。思わず寝てしまうような優しい施術のようですが、かなり身体には強力に働きかける方法なんです。後でジワジワと効いてくるケースが結構ありましてね。今度来られたとき、そのことも含めてお話頂ければ、助かります。ではそういうことで日程の調整を妻としてください。有難うございました」 「有難うございました」と洋子は頭を下げ、米田の妻、峰子との日程の打ち合わせに入った。 (あとは峰子が上手くやってくれるだろう。女同士のほうが本音もいいやすい。ストレスの原因を詳しく話してくれるかもしれない)と思いながら、米田は奥の部屋に入り、洋子のカルテに必要な情報を記入することにした。そして次の施術に備え休息を取ることにしたのである。 (ふぅ〜、施術は上手くいったが・・しかし、気になるな、足の痙攣のような動き) 経験豊かな米田はすでに終わった施術を引きずるということはめったにない。洋子のカルテを書きながら少し引きずっている自分に気づいて苦笑した。 隣の部屋ではドア一枚隔ててひとしきりの笑い声が聞こえてくる。 (峰子と菊田さん、打解けたようだ・・) そうこうしているうちに、洋子が帰るような気配がした。 (おっ、お帰りか・・) 玄関まで送るべく、米田は再度部屋から出て、挨拶しなければならない。 身支度を整え終わり、靴を履いている洋子に「気をつけてお帰りになってください」と峰子が声をかけている。米田も続いて「有難うございました。お大事にどうぞ」と声をかける。「こちらこそ、有難うございます。これからもよろしくお願いします」と洋子。何度も頭を下げ、帰っていった。 「菊田さん満足そうで良かったですね」 機嫌の良い声で峰子が言った。良い施術が出来ると峰子も対応しやすいので機嫌が良いのである。 「うん、うん、よく反応して施術しやすい人だったよ」 「そうだろうと思っていました」 峰子も長くこの仕事をやっているだけあって、初対面の印象で大体、施術が合う人かどうか分かるらしい。 「そういえばあなた、土古母さんから電話がありましたわよ」 「ほう、土古母君か・・久しぶりだな」 土古母―ドコモと発音する。20年ほど前からの知り合いだ。最初聞いたときは耳を疑ったほど珍しい名前で、二度と忘れないインパクトはあるが、正確には思い出せないという不思議な響きを持つ苗字だと思ったものだ。今は携帯電話会社のお陰でインパクトとともに正確な発音も忘れられないはずだ。 郷里は出雲で、先祖を辿れば出雲大社の神官の家系らしい。古代日本の被征服民族、土蜘蛛と呼ばれた民族の末裔であるのかもしれない。そういえば土古母、これをツチグモと読めなくもない。どことなく日本的ではない土古母の顔を思い出しながら、峰子に用件を聞いた。 「今日、夕方から時間が空いたので四谷会談でもどうでしょうか、って言っていましたわ」 四谷は米田にとって中央線一本で乗り換えなし、でもあるし、六本木に住む土古母も南北線一本で乗り換えなしなのである。お互い乗り換えなしで来られる四谷を河岸にして飲むことをいつからか、四谷怪談にひっかけ四谷会談と称するようになった。 米田は菊田洋子の気になる現象の意見を土古母からも聞きたかったし、久しぶりでもあるので行く気になっていた。 「四谷会談か・・あと二人の予約をこなせば、ちょうどいい時間にはなるなぁ」 ちらっと峰子の顔色を伺った。 「よろしいんじゃないですか。たまになんですから」 「うん、そうしよう!お前も来るか?」と思わず米田の声が弾む。 「あなた方二人で飲ませていたら、帰りは明日の始発になるでしょ。酒の匂いぷんぷんさせて施術していたら、このお店潰れるわよ!」 米田は余計なことを聞くんじゃなかったと後悔したがもう遅い。確かに米田は長尻で酒屋が開いている限り飲み続けることができる。劣らず、土古母もいくらでも飲む。この二人が羽を伸ばしきったら、本当に終電どころか始発電車になってしまうのだ。 「分かった、分かった、え〜と、今3時だから、えっ違う?4時か、4時だから、これから60分コースを二人、えっ違う?一人は80分か、そうすると、後片付けして6時50分には出られるから、余裕をみて8時半に待ち合わせしよう、いや違うな、7時半だ、7時半に待ち合わせしよう、土古母君に電話しておいてくれ」しどろもどろになりながら、なんとか取り繕い、いつもは歓迎するはずの飛び込み客が来ないように祈るのだった。 予約の二人の施術を終え、後片付けに入った。 「7時半、いつもの『銀ネコ』で待ち合わせ、ということになりましたわよ」 『銀ネコ』とは四谷にある行きつけの店、やきとり屋の名前である。やきとり屋なのに『銀ネコ』とは面白い名だが、昭和の雰囲気が漂い、落ち着く店である。勿論、美味い。特に新子焼きは絶品といってもよく、米田のお気に入りの店の一つであった。 「銀ネコか・・いいな。7時半なら混んでいるんじゃないか?予約しなくて大丈夫かな」 「しておきました」 「ああ、そうか・・良かった」 ソツがないので助かる、と思いながら、着替えを済ませ、峰子と共に吉祥寺駅に向かう。 ホームで待つ間もなく、東京行き快速電車が到着。すぐに乗り込んだ。 (少し、早く着くかな?まあいいか、先にやっていればいい) 幸い、都心へ向かう電車はこの時間なら空いている。空いているといっても中央線の割りには、という意味だ。座れるほどではない。つり革に掴まりながら、ツラツラと土古母のことを考えていた。 (姓は土古母、名は武。ドコモタケシか、通称ドコモダケ・・) 米田は思い出し笑いのように頬を緩めた。土古母本人はこの愛称がいたく気に入っているようだ。本名からくる語感でつけられているのだと思っているからだが、米田は本当の理由を知っている。彼のヘアースタイルが時々、ドコモダケという携帯電話会社のマスコット人形にソックリになってしまうのである。 (まあ、人間、本当のことを知らないほうが幸せなこともある・・) 米田は土古母がドコモダケヘアーで来るかどうか楽しみにしていた。含み笑いを隠せないでいるとき、電車が大きく揺れ、身体を支えるためつり革を握る手に思わず力が入った。峰子を心配して探す。かなり離れたドア付近の手すりを掴まえていた。 安心した米田はまた回想するかのように思いにふけった。 (もう20年か・・早いものだ・・) 米田は土古母よりも10歳ほど年上である。ある会社の要職にあったとき地方支店に土古母が採用された。その支店に出張した際、土古母と会ったのが最初の出会いだったのだ。 (あの頃は土古母君も若くてキビキビしていたなぁ) (色んなことがあったし・・) 会社の方針として、足揉みを取り入れることになったのはそれから間もなくである。米田は役員としてそれらの方針を定着させるべく東奔西走した。全国各地に足揉み健康サロンを立ち上げ、交渉担当者として台湾へ何度も行った。アメリカでの足揉み事情を知るため、渡米もした。加えて営業本部長という要職である。席が温まる暇もない。米田自身、充実した日々を送っていたと思っていたが、家庭を顧みる暇などなかった。必然的に妻の峰子に家庭の一切合切が負担としてのしかかる。子供ことも何もかもである。正直、良き夫ではなかったと思う。その分これから頑張らなくては、と思うのだ。 忙しい日々を送っていた米田が、土古母が会社を辞めたと聞いたのはそれから三年後であった。足揉みに魅了されてか、会社を辞め、独立する部下が何人もいた。米田としてはそれぞれが生きる道を見つけてくれたという意味で、成功を祈るのにやぶさかではなかった。土古母もまたそうした一人だと思っていたのである。 歳月は様々なものを変えていく。米田自身、独立し整体師になろうとは思ってもみなかった。ただ、多くの幹部が足揉みを利用し商売に結びつけることだけが念頭にあったのに対し、米田は人の足を揉むのが好きだった。自ら現場に出て、施術する機会があるのを楽しみにしていたのである。何故かそういう体質なのである。もともと職人気質があるのかもしれない。またそれなりの自信もあった。まだ足揉みがリフレクソロジーなどと洒落た名前で呼ばれるはるか以前からこの療法がリフレクソロジーであるということも知っていた。キャリアで言えば、米田は日本におけるリフレクソロジーの草分け的存在なのだ。日本でどういう仕掛けをし、どのような経過で広まり、どういうトラブルがあり、それらをどのように解決していったか、当事者としてつぶさに見てきている。まさに日本におけるリフレクソロジーの歴史の生き証人と言ってよい。 後に会社の方針と激しく対立し、米田もまた辞めることになった。そして思案した。自身、もう事業家として手広く何かをやるのはコリゴリである。もともと料理は得意でプロ裸足であった米田は小さな料理屋か居酒屋でもやろうかとも思ったが、リフレクソロジーに関わってきた自負もある。どうしたものかと悩んでいたが妻の一言で決心がついた。「居酒屋や料理屋なんて私は手伝えませんよ」 そんなおり、米田は土古母と再会した。六本木で施術院を開き、生徒をとって塾形式で教えていたのは知っていた。また、そこに至る経過も熟知していたが、施術に関して、深く意見を交換したことはなかった。米田はこれから、自身の施術院をオープンさせ、そして軌道に乗せていかねばならない。少しでも参考になることを聞くことができればと思ったのである。しかし、さほど期待はしていなかった。もともと土古母は事務系であるから、商売が上手いとも思えぬ。また、施術に関しても米田は数多くの人の足を診、健康状態を当て、そして、改善させてきたという自負がある。その業界なら知らぬ人もいないほど世界的に有名なトレーナーから、アメリカに来ないか?と真剣に誘われたこともある。そうしたこともあって、土古母とは旧交を温め、再会を祝す、くらいにしか思っていなかったのだ。 土古母と話しをするうちに少しずつ認識が変わっていった。違う。米田が知っている独立していった部下達とは何かが違うのである。そのとき、米田はまだ自分の方法論に自信もあり、拘りもあったのだが、土古母が研鑽してきた施術論にも惹かれものを感じた。一度、彼の主催する勉強会に出てみるか、と思ったものだ。 しばらくの間、準備やオープン、さらに集客のための活動に忙殺され、中々、土古母の勉強会に出席する時間がとれなかった。 ようやく施術院も軌道に乗り始め、少し時間的余裕が出てきたのはさらにそれから一年後だった。ちょうどその頃、たまたま土古母から新春勉強会を開くとの連絡を受けた。タイミング的にはちょうどいい。米田は妻、峰子を伴って出席することにした。 そこで土古母が講義していた内容は米田にとって驚きの連続だった。 「例えば、足の裏が痛いと訴える患者さんがいるとするでしょう。リフレクソロジストなら、特に痛い部分に対応する反射区異常と捉えるかもしれません。ところが、下腿部、筋肉で言うなら、腓腹筋の内側に組織拘束が出来てその関連痛として足裏が痛いという症状を出している場合もあるんです、これをトリガー活性と言うのですが、簡単に言えば、自覚のない強いコリみたいなものです。しかし反射区異常としての有痛反応かも知れませんし、単純に足底腱膜炎かもしれません。その見極めをする、または可能性について思いを巡らせるということがプロとしての義務だと思います」 米田は唸った。さらに土古母は続ける。 「結局、たった一つの診方だけで病態を掴むのは無謀なんです。様々な原理が人の身体を支配している。神経的な問題かもしれないし、筋膜的問題かもしれないし、骨組みの問題かもしれません。極端な話、心的、霊的問題かもしれない。それをどのように判断していくか、またそれに対応する技法をどう組み立てるかが問題です。自分のやっていることに固執するあまり、正規の医療を受けさせる機会を逸してしまったら、僕らの仕事の意味はなくなります、というより有害でさえあるでしょう、たった一つのフィルターを通して診るのではなく、経絡のフィルター、筋・筋膜のフィルター、骨組みのフィルター、メガネをたくさん用意しておく、というかポケットを幾つも持っているということがより多くの方に対応することができる、つまり、よき施術者だということになります」 考えとしては当たり前のことを言っている。しかし、この当たり前のことを当たり前のように徹底的に土古母は実践してきたのだ。そしてその当たり前のことがこの業界ではいかに難しいことか米田はよく知っているのである。 これを機に米田は土古母の勉強会等に頻繁に顔を出すこととなった。 知れば知るほど、面白いことを言う。 米田の知的探求心に火が着いたのである。もともと米田は会社でも理論家で通っていた。物事の因果関係を分析するのが好きなタイプなのだ。それを久しぶりに目覚めさせたくれたのが土古母だと言ってよい。 また、米田の施術院は様々な病態、症状を抱えたクライアントがくる。土古母が言っていたような歪みを持つクライアントに接することも度々であった。土古母が述べていたような原理で、またアプローチの仕方で解決するクライアントが続出したのである。 出会ってから20年余、フラッシュバックのように回顧しているうちに四谷到着を告げるアナウンスが喧騒の中から聞こえてきた。 (おっ、もう四谷か、早いな、さてさて、ドコモダケ氏、今日はどんな話しをするのやら) 電車を降り、麹町方面出口へ向かう。目指す『銀ネコ』は出口から歩いて10分ほどかかる。余裕をみてきた米田は妻、峰子とともにゆっくりと銀ネコへ向かった。 銀ネコに着いたのは待ち合わせ時間よりも数分早かったが、構わず暖簾をくぐる。 「いらっしゃいませ!」元気のいい女将の声が店内に響く。 「米田です、予約していたんですが」と峰子。 「はいはい、3人様でしたよね。どうぞ、こちらへ」と案内されたところはいつもの4人がけのテーブルであった。4人座るにはちょっと狭いが、年季の入った木製のテーブルが磨きあげられ何とも言えない味わいのある光沢を放っている。米田がこの店を気に入っている理由の一つがこのテーブルでもあるのだ。 「もうすぐ来るだろう。先に注文しておくか。とりあえず、生ビールだな。それと、土古母君は例の焼酎だろう。ボトルを一本入れておこう。どうせ一本は空く。お前はどうする?」 「私はお湯割りでいいわ」 米田は飲み物を注文し、目当てである新子焼きを三人前頼んだ。 注文し終わったか、し終わらないかのタイミングで、店のドアが開かれた。 「いらっしゃいませ!」とまた元気の良い女将の声。 土古母 武が立っていた。 いつもの紺のウインドブレーカー風のジャンパーを着ている。米田は秘かに、このジャンパーはクリーニングに出したことがないだろうと確信していた。洗濯機に放り込んでジャブジャブ洗っているに違いない。でなければ、この異様なほどの型崩れは起こらないはずだと。崩れてヨレヨレになっているばかりでなく、夏の間、日光が当たるところに吊るしてあったものだろう、片袖が日に焼けて色落ちしている。紺地がグラデーションをかけたように白く変色しているのだ。いつぞや、土古母は『この色落ち、夜になると目立たないんですよ』と嬉しそうに言うのを聞いたことがある。(いや、リッパに目立つ)と思っても口には出さなかった。 下は一目で分かる安物のジーンズ。そしてなんとサンダル履きであった。 土古母の辞書にはオシャレの文字はない、これは賭けてもいいと米田は思う。 かろうじて、ドコモダケヘアーではなかった。しかし、爆発寸前のような不自然な膨らみがある。天然パーマで三ヶ月床屋に行かず、櫛も通さなければこのようになるに違いない。 「あっ、早かったですね!米田先生!」 「いや、今着たばかりだよ」と米田。 「土古母さんはいつものでいいんでしょ。注文しておきましたよ」と峰子が言う。 「そいつはありがたい。え〜と新子焼き、新子焼き!新子焼き!」 席につくなり新子焼きの連呼が始まった。 「それも注文しておいたよ」と米田。 店によって呼び名は違うだろうが新子焼きというのは雛鳥の丸焼きのことだ。米田も勿論好物だが、土古母はこの新子焼きに異常なほどの愛着を示す。 「いや〜、さすが気が利きますねぇ、新子焼きさえあればもう目的の半分は達成したも同然」 何が目的なのか、何故、新子焼きで、その目的の半分を達成することになるのか、さっぱり分からない。これからもその謎が解かれることはないだろう。 一通り飲み物が揃った。 「久しぶりで〜す!お互いの健康を祝して、乾杯!」 「乾杯!」杯を合わせて、一息ついた。 「ところであまり酔っ払わないうちに聞いておきたいことがあるんだが・・」 「は〜い、なんざんしょ?」 米田は菊田洋子の件を話した。 症状、既往歴、施術の感触、技法、そして気になる現象のこと。クライアントの名前以外はほぼ網羅した内容だ。 「ふ〜ん、足が揺れる・・しかも寝入っている時に、ですね?」 「そうだ」 「多分・・・周期性四肢運動障害じゃないでしょうかね」 「シュウキセイシシ・・・・?」 「周期的なという意味の周期性、四肢は手足のこと。運動障害は・・分かりますよね」 「周期性四肢運動障害・・なあにそれ?」とこれは峰子が聞く。 「周期的に獅子舞が出る運動会じゃないですよ〜」 土古母と話しをするときの一種の代償である。恐ろしく下らないジョークに付き合わねばならない。こういう場合の特効薬はリアクションしないことが一番である。峰子も心得ている。米田も無視することに決めた。 「獅子舞が運動会・・クックックッ・・ガハハハ・・ケケケッケッ」 最近、ジョークにリアクションがないことに慣れ始めたらしく、自分で言って自分で笑うというオヤジの究極の技を身につけたらしい。 (昔はもう少し、エスプリの効いた知的なジョークを言ったはずだが、歳月は人を良いほうにも悪いほうにも変えるようだ)と思いながら、米田は土古母の次の言葉を辛抱強く待った。 「クックッ・・冗談はともかく、ここ5年くらいで病態として確立したものですね」 「ほう・・・」 「結論からいうと、脳の神経伝達物質の分泌異常なんですよ。ドーパミン系ですかね」 「ドーパミンといえば、パーキンソン氏病だ、確かウツ的気分にも関係するんじゃないのか?」 「ええ、そういわれていますね。だから、放っておくとウツに移行する場合もあります」 米田は脳膜の歪みを診て取り、このままの状態が続けばウツに入る可能性があると判断したことを思い出した。(やはり脳の問題か) 「土古母さんは何故そんなこと知っているの?」と峰子が聞く。 「そういうクライアントの施術をしたことがあるのか?」とこれは米田。 「実は僕も正式な病名を知ったのはそんなに前じゃないんです。でも、病態っていうか、症候的には掴んでいました。ちょうどそうですね、ベッドで足の施術も行うあたりからですかね」 「ということは六本木に来たくらいか?」 「ええ、五年前くらいになります」 土古母が六本木に移るにあたり、足の施術用のリクライニングチェアと整体用のベッド の両方を使う非効率さを悟り、足の施術も整体もベッドで行うことにした、と聞いたことがある。最初は足のときだけビーズクッションを用い、整体のときはビーズクッションを取り去るという方法を用いていたらしいのだが、そのうち、最初から枕だけを使い仰向けで足の施術を行い、そのまま整体に移行するという方法になったものらしい。現在、米田がフル施術を行う方法と同じだ。 「ほう〜、それで?」と米田は興味深そうに聞いた。 「自分の足に相手の足を乗っけて施術していたときや、リクライニングチェアを使っていたときは余程でないと気がつかないでしょう。特に、仰向けで整体をする場合に一番おきやすい現象ですから」 確かに、足、前頸部、腕、胸部、腹証に股関節、そしてクラニアルと仰向け状態が多い施術方法ではある。うつぶせ主体の整体なら足の揺れは分かりづらい。納得できると米田は思った。 続けて土古母は言う。 「不思議なもので、そういうクライアントが来るときは立て続けに来る。で、来ないときはしばらく来ない。最初は何かの反射現象かと思いましたよ。よく、ビクンとするような感じってあるでしょう。あれは、ほとんどの人が経験していますよね。それに近いんじゃないかって」 土古母はいつもそうだが、焼酎の水割りをまるで水のようにハイピッチで飲み続ける。一気に喋ったあと、これもまた一気に杯を空けた。そして自分で水割りを作りながら、また喋り出した。 「ところが、すっかり寝入った人がいて、休憩を取るときに起こすのは悪いなと思ったときがありましてね。そのまま寝かせて、休憩に入ろうとしました。何気に見遣ると、足がピクピクと揺れ続けているんです。身体のどこにも触ってないのに、ですよ」 米田も指を離したときに目撃しているので、先を続けるよう相槌を打った。 「なるほど、それで」 「それでですね、妙だと思いますわね。そこで、そういう人たちのカルテを調べてみましたよ。そうすると、ある共通項が見つかったわけです」 「ははぁ〜ん、不眠だな」 「そう、そうなんです。ダイレクトに不眠症と訴える人もいましたし、よく夢を見るという項目に○印をつけている人もいました。また、眠りが浅いとか、夜中によく起きるとか、寝た気がしない、昼間眠気が強い、などなど、表現は色々ですが、間違いなくある種の睡眠障害を訴えているわけです。例えそれが主訴でなくともです」 「ウチのクライアントと同じ愁訴だ」 「でしょう!さらに足が重いとかだるいとか、下肢の違和感もかなりの確率で訴えていましたよ」 「それが周期性なんとやらってわけ?」と峰子が言った。 「ピンポン!それが周期性なんとやらでございます」 「どうして知ったの?」とこれも峰子。 「半年くらい前ですかね。酷い風邪を引きまして、病院に行ったわけですよ。そのとき、何気なく手に取った雑誌に書いてありました。病院特有の健康系の雑誌ってあるでしょ。あれですよ、あれ。睡眠障害の特集をやっておりましてね。そこに周期性四肢運動障害が載っていたっちゅうわけです」 「ワァーオ!っていう感じだった?」 「ワァーオ!でしたよ。そのまんまじゃないか!みたいな」 峰子と土古母は何故か気が合うらしく、一種の掛け合い漫才のような問答を繰り広げている。米田はしばらくそれを聞いていることにした。 「でも、周期性なんとやらは随分とまたマニアックな名前ねぇ」 「そうですねぇ、もうちょっとなんとかならなかったんでしょうか。発見者の名前をとってつけるとか・・僕がその病態を見つけたんだから、土古母病とかにするとかさ」 「それじゃ、携帯電話の会社が怒るわよ、ドコモ病なんて」 「ハハハ、確かに・・ただでさえ、携帯電話と脳腫瘍の発現率の問題で神経質になっていますからね。睡眠障害がドコモ病じゃ、まるで原因が携帯電話にあるみたいだ」 「ええっ!携帯電話で脳腫瘍になるの?」 「なるって決まったわけじゃないですけど、確率は高まりますよ」 携帯電話での脳腫瘍リスクは当然ながら、日本では完全に否定されている。携帯電話をよく使うグループと使わないグループの追跡調査を行った結果、罹患率に統計的有意差は出なかった。しかし、片方の耳だけを使うグループとの比較では34%の増加を示すという研究結果が欧米で発表されている。土古母はそのことを踏まえて言っているのだろう。米田も知ってはいたが、話題があらぬ方向へいきそうだったので口を挟むことにした。 「その周期性四肢運動障害だが、治療法はあるのかい?西洋医学的にという意味で」 「ありますよ。薬物療法ですけど。もうじき、特効薬もできるでしょう」 「ちょっと、ちょっと、脳腫瘍はどうなったの?」 会話を途中で遮られた峰子は不満を漏らした。 「まあ、それは後で話しようよ。先に周期性なんとやらだ」と米田が言う。 「そんなことでよろしゅうございますか?峰子さん」と土古母。 「まあいいわ。子供達が携帯電話をよく使うから心配したのよ」 子を持つ母は気になるトピックが少しでも子に関係する場合、興味の最優先はそれになる。特に、病気や事故など身体に関係するものは心を釘付けにしてしまう。ことほどさように母の愛は強いものなのである。米田は任せきりにしてしまった子供達のことが頭をよぎり一瞬胸がギュッと締め付けられる思いだったが、話題を絞り込むことにした。 「薬物療法か・・当然だな・・」 米田は土古母の話で大体の概要は掴めたと思った。要するに、神経伝達物質のなんらかの異常で本来は随意筋である骨格筋が不随意的に運動してしまうということらしい。ヒトは寝てから一時間半くらいでレム睡眠が表れ、それからノンレム睡眠に移り、また一時間半でレム睡眠が表れる。このサイクルを繰り返すのが正常なヒトの睡眠の営みというものだ。しかし、睡眠が深くなりかけたときに筋肉が痙攣するかのように運動をしてしまったらどうなるか、これは素人でも察っしがつく。一晩中、深い睡眠が得られず、ずっとレム睡眠状態のままということになるではないか。これでは身体はもたないと、米田は思うのだった。 「そう、薬物療法にならざるを得ないでしょうね。ただし、一般の眠剤や安定剤だとかえって悪化させることにもなりかねないらしいですよ」と土古母が言う。 「なるほど、じゃ、ウチのクライアントは期せずして、正解を得たわけだ」 「米田先生のとこのクライアントが周期性四肢運動障害であるとういうのはあくまで推測ですからね。まずは睡眠障害の専門外来で診断を確定させるべきでしょう」 「もっともだ」と米田。 「周期性なんとやらって、多いの?」と峰子が素朴な質問をした。 「諸説ありますが平均的な数値をいいますと、推定患者数が全国で・・ざっと200万人、勿論、潜在数を含めてですが・・」 「200万!少なくはないな」驚きを隠せぬように米田は言った。 「少なくはないですねぇ、大人から子供から老人から、健康であろうと不健康であろうと、とにかく日本人を無作為に百人集めたら、そのうち、1人か2人、必ず周期性なんとやらの人がいるっていうことになりますもの」と土古母が答える。 「ましてや我々のような不定愁訴を訴えてくるクライアントが多い施術院ならその確率は何倍にも跳ね上がるだろうな」と米田が興奮気味に言った。 「ええ、下手すりゃ10倍近いでしょう」 「10人に1人・・・驚くべき確率だ」 「そう、驚くべき確率ですよ。僕の経験からも10人に1人っていう感じですかね。ただ、本人に自覚がない場合が多い。周期性四肢運動障害などというマニアックな病名も認知されない原因の一つかな、とも思うんですが」 「それと病態として確立されたのが割りと最近というのもあるんじゃないか、だって5年前はそんな情報は皆無だったんだろう?」 「5年前は、そんな話、聞いたこともなかったです。多分、ネット検索でもヒットしなかったでしょう。今は周期性四肢運動障害で検索すればウェブだけで数万件出てきますよ」 「でも、よくそんな前に独力で分類できましたわね」とこれは峰子。 「整体師の鑑だな」と米田も追従する。 「まあね。それが僕の凄いところでさぁ」 照れ隠しなのか、色落ちした片袖を大げさにまくりあげ、「新子焼き、まだかな」とつぶやいた。 「は〜い、お待ちどうさま、新子焼き3人前!」 ようやく新子焼きが運ばれてきた。普通のヤキトリの数倍の時間がかかるので仕方ないのだ。 「オヒョー!今日の新子焼きはまた一段と美味そうだ」 夢中で舌鼓を打つ土古母を米田はしげしげと見入った。 (しかし、変わったヤツだ・・変人に近いかもしれないな) 米田が前の会社にいたとき、この土古母と酒席を共にした者が全く正反対の評価をしているのを聞いたことがある。ある者は『土古母は大酒飲みだ、全く食わないで酒だけをグビグビ飲む。結局、料理には箸も付けなかったよ』と。またある者は『土古母は大食いだ、酒なんか目もくれず、食ってばかりいる』と。米田はどちらも土古母そのものであることを知っている。何かの基準があるのか、それとも気分で決めているのか、今日は食う日、今日は飲む日、と厳格に立て分けていたものらしい。たまたま『飲む日』に酒席を共にした者は大酒飲みのレッテルを貼るし、『食う日』に当たった者は大食いのレッテルを貼ることになる。さすがにそういう飲み方、食い方は身体に悪いと察したのか、回りの者から非難されてのことなのか、最近では適度に食べながら飲むことにはしているようだが、本質は変わっていない。今現にあれほど水のように飲んでいた焼酎をピタッと止め、食うことに専念している。グラスを見ることさえしない。新子焼きが食い尽くされるまでそうだろう。そして、食い終わったら、飲むことに専念するはずだ。ここまで徹底するヤツに出会ったことがない。米田はある種の畏敬すら感じながら土古母の健啖ぶりを眺めるのだった。 土古母はまさに貪り食うという表現がピッタリなほど夢中になっていた新子焼きを食べ終わり、焼酎の水割りを作り始めた。勿論、米田も峰子も土古母によってペースを崩すということはない。ゆっくりと新子焼きを味わっていると、唐突に土古母が言った。 「睡眠時無呼吸症候群っていうのがあるでしょ。今では知らない人がいないくらい有名になりましたよね。あれと同じで周期性四肢運動障害っていうのも知らない人がいないくらい広く認知されるんじゃないでしょうかね?」 「さあ、それはどうかな?」と米田が応じる。 「なんで?」不服そうに土古母が尋ねた。 「睡眠時無呼吸症候群は無呼吸という言葉にインパクトがある。誰でもその言葉を聞くとインパクトと共にイメージしやすいだろ?周期性四肢運動障害だとその語感からは全く症状をイメージできないものだ。誰が睡眠障害だなんて思う?それと無呼吸症候群は少なくとも家族はすぐに気づくさ。だってイビキが途中で止まるんだからね。日常の中で体験しやすいものだということと、無呼吸という言葉のインパクト、この2点において広く認知されたものだと思うよ。周期性四肢運動障害はこれらの要件を満たしていないから、広く認知されるということはないと思うな」 「な〜るほど、そういう見方があるのか。ネーミングというのは大事なんだなぁ」 と土古母にしては珍しく素直に頷いた。土古母的な理屈のツボというのがあるらしい。そのツボにハマッたら信じられないほど素直に受け入れる。逆にそのツボにハマらないことを言われたら、これまた殺されても自説を曲げないほど頑固だということを米田は知っていた。 「なるほどね〜、なるほど、そういうことか・・そういうもんなんだ」としきりに感心している土古母だったが続けて意外なことを言った。 「じゃ、むずむず脚症候群のほうが広まっちゃうんだぁ〜」 むずむず脚症候群のクライアントは米田も診たことがある。 「むずむず脚と同じ病態なのか?」 「ええ、そうですよ。むずむず脚とほとんど同じメカニズムでなる。ただ、感じ方がちょっと違うっていうだけです。まあ個人差でしょうね。周期性四肢運動障害の人も下肢の重だるさを訴える人がいるって言ったじゃないですか。だから、むずむず脚と周期性なんとやらを合わせてレストレスレッグ症候群なんて言い方もしますよ。米田先生は診たことあるんですか?」 「ああ、ある」と答えながら上の空だった。 (そうか、そうだったのか。菊田さんの足の揺れを見たときに感じたデジャブ感はそういうことだったか。思い出せそうで思い出せないもどかしさ・・・妙に引っかかったのはそういうことだったのか・・うかつだった・・) 「むずむず脚症候群だったら、まず、むずむずという言葉自体にインパクトがあるでしょう。それにむずむず、と本人の自覚症状がある、つまり日常的に体験するわけですよ。インパクトと日常体験、この2点がある。米田理論でいうとこれは一般に広まりやすい、ですよね。ね、米田先生!」 米田はほとんど上の空だった。仕方なしに生返事をする。 「うん?うん、そう、そうだな」 「あなた、大丈夫?」と峰子が聞いた。ボーッとしているように見えたのだろう。 「むずむず脚はイメージしやすいし、インパクトがある。加えて日常的な体験もする。これは一般化する名称の要件を満たしている」米田はあえて力強く言ってみせた。 米田も焼酎に切り替え、梅酒のストレートを焼酎に少し加えながら飲むことにした。ほんの香り付けだが、土古母の好む甲類の焼酎にはこれが合う。本当は乙類の芋焼酎が好きなのだが、土古母と飲むときだけ合わせているのだ。 ほどよくアルコールが回り始めている。身体が心地よく、軽くなったかのようだった。土古母が発するたわいのない冗談を聞きながら、肝心なことを聞くことにした。 「ところで整体的に診た場合の周期性四肢運動障害の対処だが、どうしてきた?」 「米田先生と同じですよ。先ほど、施術の概要を聞きましたが、頭蓋に問題があるということは間違いありませんのでね」 「なるほど、私もそう思う。それと仙骨の異常を強く感じたんだが」 「ええ、仙骨矯正をしたとき矯正されたと実感したわけですよね。僕はそういう矯正の仕方はしませんが、仙骨異常もあるでしょう」 米田と土古母が全く同じ施術をするというわけではないし、感じ取り方が同じというわけでもない。これは個性が違う以上、当たり前のことなのである。『技法は手段であって目的じゃない』これが土古母の口癖だ。重要なのは身体の診方、整体的に俯瞰する考え方だと。 米田も同感だ。土古母から様々な技法を教えられたが、そのまま使うこともあるし、自分なりに工夫しアレンジしたものもある。また、原理的に同じならば全く新しい技法を考え付くことだってある。技法に拘れば、ドグマに陥り、原理主義者になって進歩がそこで止まってしまう。無論、どんな技法もある水準に達しないとお話にならないことは当然のことだ。だから初心者に対する指導と上級者に対する指導ではまるで違うことになる。 「左側の仙骨に異常を感じ、腹証は上腹部に集中して出ている。そして頚椎は右側に変移しているわけですね?」 「そうだ」と米田。 「おお、なんと教科書的な美しい歪み方だ!」 土古母的には美しい歪み方というのがあるらしい。 「どうも下から上へ歪みが上がってきているな、ウチのクライアントは」 「損傷パターンが仙骨から始まり横隔膜下に移行して首に出る・・・そして後頭骨と環椎の関節が多少ズレたんでしょう。それで頭蓋の動きが減少してしまった・・」 「それが脳全体の拍動を減衰させる。私もそこまでは診て取ったよ。当然、脳膜の歪みを伴うからね」と米田が応じた。 「これで、右の肩に違和感を感じていれば完璧な構造的損壊パターンなんですけどね」 と土古母。 「右肩は左に比べて多少の硬さはあるものの自覚的なものではなかったな」 「まあ、自覚症状は個人差がありますから」 米田は施術自体が見当違いのものではないことを確認できたので一安心というところだ。 結局、西洋医学では、起きている現象を説明できるが、何故そうなったかの問いには答えられないのだ。整体的に俯瞰したとき初めてその現象の真因を把握できる。そこで米田は土古母の治療実績を聞くことにした。 「その周期性なんとやらのクライアント達はその後どうなった?改善されたかい?」 「そうですね、歪み、特に頭蓋の動きが回復したと確信を持てたときは改善されていますね。でも、歪みが深くて無理なときもあります。最近では頭蓋骨に欠損がある方がいらっしゃったんですが、これは無理でした。不眠の自覚はなくて、むしろ過眠傾向にある人でしたが」 なるほどと米田は思う。眠りが浅ければ、それだけより多くの睡眠をとろうとするだろう。その部分だけからの側面で言えば、不眠というより過眠と訴える人間もいるはずだ。 「その人は仕事をリタイアしてはいないかい?」 「へぇ〜、よく分かりますね、そう、そのとおりです、引退して悠々自適でしたよ」 簡単な推理である。仕事を持っていれば決まった時間に起き、決められたスケジュールで仕事をこなさねばならない。だからこそ、眠りが浅く、昼間の眠気が強いと訴える確率が高まるのだ。時間に縛られない生活なら、好きな時間に寝、好きな時間に起きられる。 しかし、根本的に眠りが浅いわけだから、昼寝もし、また長いに違いない。このとき、本人は不眠などと思わず、過眠症だと思うだろう。不眠と過眠、ある場合は表裏一体なのだ。 「まあ、ダテに整体師をやっているわけじゃないよ、それにしても頭蓋骨の欠損はちょっと厳しいなぁ、他には?」 「他には・・仙骨に穴が開いている人もダメでしたね。実際穴が開いているわけじゃないんですけど、定期的に骨髄液を抜き取るのに仙骨から取る。ワインオープナーみたいな感じでネジネジと・・こりゃ、たまりませんなぁ。勿論、定期検査なんですけど」 「白血病か?」 「うわーお、これも正解。急性骨髄性白血病の予後検診でしたね。まあ、このような特殊な例はちょっと例外です」 「特殊な例は別として考えた場合、改善率は何割くらいになる?」 この質問に答えるのが如何に難しいか、米田はよく知っている。特に周期性四肢運動障害は病態として知っているクライアントなど皆無に近いだろう。それゆえ、他の愁訴で来院するケースがほとんどに違いない。病態が複雑に絡み合って、特に自覚症状が強いものを主訴として訴えてくる。その中から睡眠障害があることを見出し、周期性四肢運動障害も併発していると判断せねばならないわけだ。クライアントも様々で、良くなって途中で来なくなる者もいるし、一度の施術で自分には合わないと勝手に判断して次の予約をキャンセルするものもいるに違いない。それらを全部ひっくるめて改善率をいう場合、実際、その後どうなったのか、或いは続けたとしたらどうなっていたか、分からない場合が多いのだ。よく整体師や足揉み師で、これこれを治した、これこれも治した、だからこの方法が一番いいと宣伝する者もいるが、良くなった例だけを挙げれば、いくらでも言える。百パーセントだ!とさえ言えるのである。 しかし、場数を踏んでいる整体師、若しくは少しでも知性のある整体師なら、そんなバカなことは言わない。米田はそれらを全部踏まえた上であえて聞いているのだ。土古母ならそれを分かってくれるに違いないと思ったのである。 それまで、にやけた顔をしていた土古母は一瞬真顔になり、米田の顔を凝視した。そして再びニヤリと笑った。「8割・・・じゃウソが入るかな。7割方っていうところでしょうか」米田から視線をはずさず言った。まるで米田に試され、かつ米田を試しているかのような口調である。 「分かった」と米田は一言だけ返事をした。 米田も場数を踏んだ整体師である。土古母の答えで全てを了解した。 米田は話題を変えることにした。 「ウチのクライアントはそもそも、どうして、仙骨のズレが起きてしまったのかな? まあ、今更、それを追求しても仕方がないんだが・・・」 「仕方ありませんね。でも興味あるところではあります。特に強い身体的トラウマがあったわけではないんでしょう?」 「本人が覚えている限りではな」 「仮にそれが本当だったとしたら、考えられるのは、お子さんいらっしゃったんでしたっけ?」 「大学生の一人息子さんがいるみたいよ」と先ほどから米田と土古母の会話を聞いていた峰子が答えた。 「年齢は50代半ばで大学生の息子さんか・・・高齢出産ではないですけど、30代で初産ということですか・・・やはり、考えられるのは出産時ということでしょうね。他に原因がないとすれば」 「出産時か・・・可能性は高いな」と米田。 「出産で仙骨がズレますの?」と興味深そうに峰子が聞く。 「結果的にはそういうことが多いんです。今の産科の方針ではね」 正確には仙骨がズレるというより恥骨がズレると言ったほうが的確であろう。普段、恥骨結合は強固なものだが、出産時にだけ、産道を開くために結合が解かれる。恥骨を離間させる特殊なホルモンが分泌されるのである。分娩が終わったのち、この離間した恥骨が元に戻ることになるのだ。ゆえに出産を終えた妊婦は安静状態が必要なのだが、現在、産科の方針は長期間入院させるということはない。むしろ、すぐに歩かせるというのが普通である。大昔、日本ではほぼ3週間に渡って、安静を強要したものである。しかし、これとて余裕のある武家や富裕な商家に限られるものであって、働き手が不足していた農家などの場合はやはり、安静時を短縮しなければならなかった。そのため、恥骨が元に戻りきらずズレたまま癒合するケースがままあったのである。そういう場合は後にかなりの愁訴に悩まされることになる。したがって、恥骨のズレを解消するツボにお灸をするなど、対処法が発達していた。今はそのような伝承は途絶えている。 いずれにしても、出産後、すぐに日常生活に入ると、恥骨がズレたまま再結合し、それが骨盤全体の歪みを生じさせる。骨盤、つまり腸骨が歪めばそこに収まっている仙骨は居所が悪くなり、浮くことになってしまう。土古母が言う『結果的には・・』というのはそういうことなのである。土古母はそれらのことを峰子に説明していた。 「医学全体の発達によって、母体や胎児が危険にさらされることは少なくなった。少なくなったという表現など控えめなほど劇的に安全になったとも言えるかもしれない。しかし、古来の知恵もまた、有用であることを忘れているようだな」と米田が補足する。 「出産後に一時的にでも腰痛が出た経験があれば、ほぼ今の仮説は成り立ちますね」 「覚えているかどうかは分からないだろう?」 「そうですね、ほんの一時的なもので、さほど強いものでなければ忘れているかもしれません」 「まあ、今度再来したときにでも聞いてみるさ」 「出産で身体が歪むことがあるって、そんなに多くの人は知らないわよ」と今度は峰子が言う。 「産後の肥立ちとはよくいったもので・・・昔の人は知っていたんですよ。今、リフレが産前産後に良いと見直されているのは、少なくとも産後については恥骨の再結合が正しく行われるのを手助けできるというのも理由の一つではないかなと思いますよ。なにせ恥骨のズレを矯正するツボはふくらはぎにあったということですから」と土古母が応じた。 「承山か・・・まあ、足であることは間違いないなぁ」と米田。 承山とは腓腹筋とアキレス腱のちょうどつなぎ目にあるツボの名前である。何故、そんな部位の刺激で恥骨の矯正が出来るのか、現代医学では説明できない。 「承山はお灸を据えたところですわね。多分、手技では足裏や足の甲などが功を奏するんでしょう」と土古母。 「よく、出産後に激太りして、元に戻らないっていう人がいるっていうでしょ。あれって、骨盤が開くからだって聞いたことがあるけど、今の話と関係する?」と峰子が女性らしい質問をする。 「大いに関係するでしょうね。医学的な証拠はないですが、経験的な証言は結構あるらしい。アメリカでは州によって資格制度が違うんですが、ある州はリフレが看護大学の必須科目になっているんです。看護師の標準装備みたいなもので、結構、産科に応用しているようです。今言ったような産後太りになりづらいという評判があって、妊婦には人気なようですよ。これなどは、恥骨不正癒合と激太りの関連を提起していますね」とこれも土古母が答えた。 「もともと妊婦にリフレというのは定番だろう?」 「ええ、セレブな人たちにとっては当たり前のことで、当たり前過ぎてニュースにもなりませんね」 「なんで日本では知られていないのかしら」と峰子。 「そりゃ、お前、規制の問題だよ。そもそもリフレのような自然療法を教える正規の医療学校などないし、民間療法家や整体師がそんなこと宣伝したら、何かの法律に引っかかってしまうよ」とこれは米田が答えた。 「宣伝の仕方にもよりますが、グレーゾーンではありますね」 「じゃあ、旦那さんがやってあげればいいじゃない」 「日本の男は余裕がないんだよ」と少し後ろめたいような口調で米田が返す。 「余裕とかじゃなくて気持ちの問題よ」 「だからその気持ちの余裕がないんだよ」 「何言ってるの、子供が出来る、その子供が元気で生まれてくるかどうかよ、そして奥さんも健康で出産を終えられるかどうかの問題よ。一家の一大事じゃない、人生のビックイベントよ、そんなときに気持ちの余裕がないなんて、一体いつ余裕を発揮するの?」 米田はしまったと思った。こういう展開になろうとは・・・そんなとき、土古母が察したのか話題を変えた。 「まあ、一番の問題は公的教育機関でそういうことを教えないということにあるんでしょう。知れば、今の男の子達は優しいから、ちゃんとやってあげるんじゃないですか」 多少強引かと思ったが土古母が話題をそらしたのを機に米田も話題を変えるべく追従した。 「ま、まあ、そういうことだな」 「うまく逃げたわね、まあいいわ。話を元に戻しましょ」 続けて峰子が独り言のようにつぶやいた。 「なんだか、今までの話を聞いていると、風が吹けば桶屋がナントカみたいな話ね・・・」 「そうですね、ヒトは因果関係を把握するとき、AならばB、という風に要素が単純なほうが理解しやすい。これがAならB、BならばC、CならばD、DならばE・・と論理段階が多層化するにつれて理解しがたくなってくる。しかも、そこにタイムラグ、つまり長期スパンの時間的要素が入ってくると、もうほとんど理解できなくなります。さらに人間の身体には個人差というものもあります。ある人はAならばB、でもある人はAならばFかも知れない。こうなるともうお手上げですよね。西洋医学の医師は治療家としての教育を受けるまで、科学者としての教育を徹底的に受ける。整体的な身体の診方は本来科学には向かないんです」と土古母は長広舌を一席ぶった。 「つまりは、出産時の恥骨不正結合が仙骨異常を生み、その歪みが上へ上へと上がっていき、遂には、頭蓋を拘束し、それが原因で周期性四肢運動障害になる、という因果関係の多層化とタイムスパン。しかも、仙骨異常を起こした者が必ず周期性四肢運動障害になるとは限らないし、頭蓋拘束がある者が必ずこれまた周期性四肢運動障害になるとは限らないという個体差の問題。これじゃ、西洋医学の先生方は納得しないわな」と米田も今回の例に即して話した。 「我々はごく普通にそういうことを理解するんですけどね。理解というかそういうもんだと納得しているというか・・」 「風が吹いて桶屋がナントカ、ということが、少なくともヒトの身体で頻繁に起きていることは、整体に関わる者なら知るべきだろう。これは現代医学の盲点でもあるからな」 会話が弾んでいたが、夢中になり過ぎたお陰で時間の経過に気がつかなかった。時計を見ると来てからもう2時間である。米田は菊田洋子の件ではほぼ聞くべきことは聞いたと悟った。(そろそろこの話題は切り上げるか) 新子焼きはボリュームがあるが、さすがにそれだけはあとで腹がすく。土古母に尋ねると、レバーとネギマがいいという。異存はないが、野菜が足りない。米田は和風サラダも追加することにした。(これを食ったら帰るか、オレも土古母も明日は仕事だ)と思うのだった。 「ウチのお客さん、良くなるかしら?」と特に答えを期待するような風でもなく峰子がつぶやいた。 「う〜ん、僕は予言者じゃないので、断定的には言えないですけど・・・」 僕は予言者じゃない云々は土古母が好んで使う言い回しである。最近では予言者を細木数子に替えたり、江原啓之に代わったりするバージョンもあるが、これはある意味、軽蔑的な意味合いを含ませている。神の身ならぬヒトが将来のことを断定的に言えるわけがないのだ。しかし、不確定な未来を断定的に言ってくれる者に対して頼ろうとする人間も多いには違いない。それが占いブームに拍車をかけているのだろうと米田は思う。 峰子とて当然、それは承知であろう。だから、答えを求める風でもない、つぶやきに近いものだったのだ。 しかし、土古母は反応した。さらに続ける。 「僕は長年の経験でこう思うんですよ。ヒトは身体の歪みだけで発症するものじゃないと・・・発症するということは要因が幾つか重なった結果なんだと思います。ヒトの身体には適応力がありますからね。多少の歪みなど、適応してしまってビクともしないくらいのタフさが本来備わっていると思うんですね。しかし、それに何らかの要因が加わる、一番多いのはストレス、過労、感情の鬱屈、そして加齢などでしょう。逆にいうと、だからこそ発症までのタイムラグがあるわけです。先ほど、米田先生の施術の概要を聞きましたが、整体的にはもうすることがないですよ。これ以上、何をやればいいか思いつかないな。だからといって、発症するキッカケになった要因まで除去できたかどうかは分からないです」 「ストレスと言えば、仕事で相当に嫌な目にあってるらしいわ。詳しくは分からないけど」 洋子と最後に会話した峰子は米田より情報を持っている。 「ストレスというのは個人の感じ方ですから、本人が感じる度合いというのは中々他人には分からない。それが強い要因の一つなら、同じことを繰り返して、結局、矯正された身体が元の歪みに逆戻りということもあり得るでしょうね」 「だから心理カウンセラーの活躍する分野もあるのね」 「昔は宗教家が担っていた分野ですよね。『汝、癒されたり!』で本当に治っちゃうわけですから。言葉の威力は凄まじいものです。カウンセリングを受けて、気持ちが楽になったり、物事の受け止め方が変わったりすると、物理的に歪んでいた身体が元に戻ることさえありますよ。何回か目撃してますもの。逆に身体の歪みが直ることによって、心の有り様も変わる場合があります。でも心のブロックを外すのは難事です、どちらの方法論でもね。米田先生のクライアントはどういうタイプなのか。こればかりは分からないですね〜」 「まあ、2週間後にハッキリするさ」とこれは米田が言った。 ネギマとレバー、そしてサラダがまとめてきた。 狭いテーブルに文字どおりところ狭しと並んだ皿を整理する土古母。変なところで几帳面だ。満足できるレイアウトになったのか、「2週間後が楽しみですね、どうなったか、僕にも教えてください、あっ、先ほども言いましたが、専門医への受診は薦めたほうがいいですね、どうであろうと」と快活そうに言う。 「勿論だよ」と米田。 それから、携帯電話と脳腫瘍の関連性について峰子に説明しながら、レバーもネギマもサラダもきれいに平らげた。 「まあ、じゃ携帯電話は片方の耳だけを使わないほうがいいわけ?」 「現在のデータで言えば、そういうことになりますけど。ヘビーユーザーじゃなければそんなに気にすることはないんじゃないですか」 「でも気をつけるに越したことはないでしょ、なるべく交互に使うよう言わなくちゃ」 その後、たわいのない雑談を交わし、お開きということになった。土古母とまたの再会を約し、店を出たときには10時半を回っていた。 2週間後・・・・ 菊田洋子は約束どおり来院した。 ニコニコと笑顔で、峰子や米田に挨拶をしながら、着替えをして、足浴を終え、施術される体勢に入った。 米田の経験からいうと、こういう雰囲気を漂わせている再来のクライアントは体調もよく、前回の施術が上手く行っている例が多い。 「如何でしたか?」と米田が問うと、待ってましたとばかりに「お陰さまであれ以来ずっと、調子がいいんです。夜も眠れるようになりまして、本当に有難うございます」と弾むような声で答えた。 米田は手応えを感じた前回の施術を思い出して、予測どおりであることに満足を覚えた。 「そうですか!それは良かったですね」 勿論、だからといって有頂天になるわけでない。土古母から聞いていた周期性四肢運動障害の概略について分かりやすく洋子に説明した。そして、専門医の受診を薦めたのである。 ところが、洋子はもともと薬や医者嫌いでもあるらしく、ましてやかなり大掛かりな検査の説明を受けて、あまり気乗りしない様子であった。 米田としてもそれを無理強いする立場にはないわけだし、言うべきことは言ったので、あとはクライアントの選択次第だということを知っている。 一応の選択肢を提示した後、早速、施術に入っていった。 2回目であるから、洋子も最初からリラックスしている様子。米田としてもやりやすい。 決して気を抜くというわけではないが、初見での緊張感からは解放されるのである。こういう場合の施術は非常に楽でもあり、楽しいものだ。 心地よい緊張感と適度なリラックス感で予定どおり、そして難なく施術を進めていった。 ここに至れば、出産云々のことを聞くというのもヤボな話しではあろう。 かえって出産時のトラウマなどを思い出し、悪影響が出る可能性さえある。米田は土古母との話で出た出産時腰痛のことは言うまいと思いながら施術していった。 しかし、思うわけである。 脳膜の歪みが最終的に神経伝達物質ドーパミンの分泌異常として出るパターンがあることはまず間違いないだろう。そしてそれは個人差があるということも理解できる。 昔は検査方法や、病態の研究が充分でなく、周期性四肢運動障害などという症候名さえなかったものだというのも分かる。しかし、しかしである。果たしてそれだけであろうか。 そもそも、頭蓋系の歪みで周期性四肢運動障害が出てくるというのは本当に昔からあったのであろうか。米田は土古母と話した内容を思いだしながら、それなりに理屈は通っているものの、どこか、まだ釈然としない思いに駆られるのであった。どうしても現代特有の病としか思えないのだ。 そんなことを考えているとき、聞きなれない音楽が聞こえてきた。 「あら、ゴメンナサイ!ケータイ、切っておくのを忘れていました!」と洋子が申し訳なさそうに言った。携帯電話の着信音だったのだ。 「あっ、ケータイね。どうします?出ますか?」 「いえいえ、大丈夫です。すみません、ちょっと切ってきますね」 施術が中断され、洋子が携帯電話の電源をオフにして、帰ってくるのを待った。 (携帯電話か・・ケータイ?携帯電話?まさか・・真の原因はケータイの電磁波!?) 強い電磁波が身体に悪影響を与えるのは現在では周知の事実である。 高圧電線の真下に住むと健康を害する者が続出する。場合によっては脳腫瘍さえ発症してしまうのである。 しかし、携帯電話の電磁波など微々たるものだ。へヴィーユーザーに限り、しかも片方の耳だけを使う者の脳腫瘍発症率が3割ほど増えるくらいだ。 (まてよ・・・菊田さん、やけに気に反応するタイプだ・・・電磁波感受性が人一倍高いのかもしれない) 個人の感受性の違いはある場合は何十倍にもなる。米田は経験でそれを知っていた。 「つかぬことをお伺いしますが、職場ではやっぱりコンピューターを使うのでしょうね?」 「ええ、勿論。これが慣れませんの。頭痛が起きるくらいですわ、慣れない仕事をしているせいね」 米田は唸った。仕事に慣れないという心理的ストレスばかりではない。物理的に合わない可能性がある。 「他にどんな機器がありますか」 「そうですね・・・すぐ近くに大型の複写機がございますわ。最初は産毛が逆立つくらいなの。静電気かしらね。」 米田はまいったと思った。 『歪み単体で発症することはない・・そこに何らかの要因が複合的に絡んできたとき、愁訴に至る・・・』米田は土古母が言ったことを思い出していた。 (まいった・・このままだと同じことを繰り返すぞ・・・) これではエンドレスな施術を続けていかねばならないではないか。米田は現代社会が抱える問題に直面した。しかも、この問題は米田個人ではどうすることもできない。まさか仕事を辞めろ、というわけにもいないではないか。 (薬か・・薬を服用しても症状を抑えこむだけで、真の問題は身体の奥深くに内向するだけだ) 施術後、米田は言った。 「菊田さん、良かったですね。身体から受ける感じも随分良くなっていますよ。コリも前に比べなくなっていますし・・ただ、また疲れが溜まってくると思います。人間というのはある年齢を過ぎるとやはり、定期的なケアーは必要ですよ。それも他人の手が入るようなこのような手技法が良いと思います。あまり疲れが溜まらないうちにお電話ください」 手技法家がこのようなことを言う場合、その奥に隠された深い意味を理解できるクライアントはまずいまい。しかし、あまり説明し過ぎると、健康食品を強引に売る業者が使う“脅しのトーク”に似てしまう。 米田は“脅しのトーク”でリピートさせることなど、自身の人生観から決してできるものではなかった。かと言って放っておくわけにもいかない。身体の変調を感じたとき、来て頂けるようにさりげなく説明するのだった。しかも真心こめて。 伝わるかどうかは相手次第である。また自身の力量も問われるのかもしれない。 整体師であるという誇りもあるが、医師ではないという法的限界もまたあるのである。 そんなことをつらつら考えていると菊田が尋ねた。 「どれくらいの間隔で来れば良いのでしょうか?」 「そうですね、菊田さんの場合、2週に一度と言いたいところですが、まあ、一ヶ月に一度はいらしたほうがいいでしょう」 このように会話が展開していくのは米田としても大変助かるのだ。決して無理強いしない形でご本人の身体をケアーできる。 「予約を入れたほうがよろしいのかしら?」 「そのほうが間違いありませんね。何度も電話してその度に断られていたら、もう電話するのが嫌になっちゃうでしょ」 「いえ・・そんなことありませんけど・・・ほほほ、でもそうですわね、私、結構、せっかちなところがあって・・」 とりあえず落ち着くべくところに落ち着いて米田はホッとした。 菊田が帰ってあと、次の施術まで少し時間がある。 土古母のトボケタ顔を思い出した。 (今の時間、土古母は施術中かな、それとも授業中か。まあいい、とりあえず電話してみるか。私の見解にどう反応するかな、多分、土古母のことだ、様々な例を挙げて同意するか、様々な例を挙げて反論するか・・楽しみだな) 米田はおもむろに受話器を挙げ電話番号をプッシュした。 周期性四肢運動障害 了 |
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